送り迎えの道中で、子どもたちは色々な話をしてくれます。

ある朝、先頭にいた女の子に「あんなー、うちのおとうさん、おさけすきやねん」と突然言われ、ちょっとびっくりしました(^^)

「先生もお酒は好きやで」。「でもなあ、タバコもすわはるねん」。(私はタバコは吸わないので)「ふーん」と間の悪い返事を返すと、間髪入れず、「あんなあ、かっぱえびせんやねん(笑)」

私も笑いながら「どういうこと?」と聞きますと、

「わたし、かっぱえびせん、すきやねん。”やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪”」

これ以上話は展開せず、すぐ別の話題に切り替わっていきましたが、子どもたちとの会話の断片には、しばしば家族を思う気持ちが垣間見られます。

上の例も、父親の健康を気遣う気持ち(お母さんの気持ちの代弁かな?)はもちろんのこと、同事に、ある種の同情(お父さんの気持ちもわかる、だって自分も好きなおやつはついついたくさん食べてしまうだから・・・)も見て取れます。

子どもを子どもと思うと見誤ることが多々あります。気持ちを伝える言語の稚拙さは別とすれば、人間としての優しい心配りや内面の葛藤は、大人のそれと何も変わらないといつも思います。

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