送り迎えの道中で、子どもたちは色々な話をしてくれます。
ある朝、先頭にいた女の子に「あんなー、うちのおとうさん、おさけすきやねん」と突然言われ、ちょっとびっくりしました(^^)
「先生もお酒は好きやで」。「でもなあ、タバコもすわはるねん」。(私はタバコは吸わないので)「ふーん」と間の悪い返事を返すと、間髪入れず、「あんなあ、かっぱえびせんやねん(笑)」
私も笑いながら「どういうこと?」と聞きますと、
「わたし、かっぱえびせん、すきやねん。”やめられない、とまらない、かっぱえびせん♪”」
これ以上話は展開せず、すぐ別の話題に切り替わっていきましたが、子どもたちとの会話の断片には、しばしば家族を思う気持ちが垣間見られます。
上の例も、父親の健康を気遣う気持ち(お母さんの気持ちの代弁かな?)はもちろんのこと、同事に、ある種の同情(お父さんの気持ちもわかる、だって自分も好きなおやつはついついたくさん食べてしまうだから・・・)も見て取れます。
子どもを子どもと思うと見誤ることが多々あります。気持ちを伝える言語の稚拙さは別とすれば、人間としての優しい心配りや内面の葛藤は、大人のそれと何も変わらないといつも思います。
親が子を思う心と、子が親を思う心。
どちらも大切な心と思います。
それは、人を思いやる心だから、そう思います。
親思う 心に勝る 親心
今日のおとずれ 何ときくらん
本来の意味は少し違いますが、この教訓歌はそのどちらも
表しているようにも思えます。
親であり、また子でもある私自身、子供を見ていると、
ふと親のことを思い出したりします。
子を思えば思うほど、親を思うこともあります。
人を思いやる心、他者への配慮。
色々な言い方がありますが、どれもかしこまった言い方
と思いますし、頭では分かっていても、心では分かり難い
言葉と思います。
そういえば、今日は雨ですね。
昔の人は綺麗な言い方をされておられます。
傘かしげ
雨のなか、ふとこの言葉を思い出しました。
子は親を映す鏡。
子供から教えられる事、これからも沢山ありそうです。
含蓄有るコメントを有り難うございました。
子どもの言葉は語彙が少ないこともあり、しばしば断片的です。行間を読むという言い方がありますが、言葉と言葉の「間を読む」心の余裕がないと子どもの言わんとすることがなかなかつかめません。
子ども同士の喧嘩を見ていても、相互に自分の思いをうまく相手に伝えきれないもどかしさ、いらだちから派生するケースが多いです。
大人が子どもの心にピントをあわせ(これが難しい)、子どもの言葉を「通訳」することで、相互に、また、子ども同士の間のコミュニケーションがうまくいくことが多々あります。
忙しいと中々チューニングが難しいわけですが、私たち教育に携わるものにとって、このスキルこそ、学校の教科書では学べない、しかし、もっとも大切な力だといつも思わされます。