12月のお誕生会では「かさじぞう」を上映しました。昨年度の年長の劇でもおなじみの作品です。おじいさんの優しさにふれたお地蔵さんの目に涙が浮かびます。このシーンを子どもたちは印象深く見ていたようです。映画が終わってから私は子どもたちに次のような話をしました。
「おじいさんは宝物がほしくてお地蔵さんに笠をかぶせてあげたのでしょうか。違いますね。では、お地蔵さんが「寒いよー」と声を出したからでしょうか。お地蔵さんは何も言いませんでした。でも、おじいさんは寒そうなお地蔵さんの顔を見て、その気持ちがわかったのです。お友だちのことを考えてみましょう。泣かずにがまんするお友だちが周りにいるかもしれません。みんなもそういう気持ちになったことがあるかもしれません。そういう心の声を聞くことができるのは、とても大事で、とても大切なことなのです。」
大人にとっても、目に見え、耳に聞こえる声だけを頼りに事の判断をするのは十分とは言えません。子どもたちの心の声に耳を傾ける余裕がないと、「ごめんね」・「いいよ」のやりとりが、形式的な「間に合わせ」に終わることもありえます。「ごめんね」と口で言いながら心で謝っていない(謝る理由がわかっていない)場合もあれば、「いいよ」と口で許しながら、心に悔しさがこみ上げるケースも出てきます。月並みですが、一つ一つの事例に際し、言葉のやりとりを丁寧に見守ること、言い換えれば、言葉を発する子どもの心の奥をのぞき、本当の心の声を聞く耳を持つ態度が大人には必要です(大人同士でも同様です)。
昨日職員会を開き、子どもたち一人一人の「心の声」を私たちが日頃どれだけ聞き届けることができているか、皆で振り返る機会を持ちました。同事に保護者の皆さんの胸の「思い」をどれだけ聞き届けることができたかについても。
今日で二学期は終了しますが、私も含め、先生一人一人、子どもたちのことを思い、保護者のことを思い、心の中で対話しながら冬休みを過ごします。三学期、さらに充実した日々が待ち受けるよう、今から再会の時を心待ちにしたいと存じます。