夏休みは子どもたちのエピソードを紹介できない代わりに、日々私が教育について感じ、考えていることをお伝えしたいと思います。
あらたな文章を書き起こす余裕のない日は、過去に書いた文章を自分でも読み返し、それを紹介させていただきます。
今日読み返したのは、「大人の言葉、子どもの心──思い出を力に変えて」という一文です。
リンク先は「山の学校」のホームページです。私にとって、幼児教育も、小学生から大人の教育も、根っこは同じです。
「これは何の役に立つ。だからやれ」という言い方も無責任ですし(未来は誰にもわからない)、「未来」になって初めて気づく「あれがありがたかった」という思い出が将来生まれることは確かですが、といって、その種が今の目の前の何に当たるのか、「今」はだれにもわかりません。
「好き!」、「難しいけれど面白い!」という感覚を頼りに進むのが一番手堅いのではないか、とこの年になり気づきます。第一その方針が一番「悔い」が少ないように思います。
無我夢中で本を読む、公園で日が暮れるまで遊びこむ、etc.何の役に立つかはわからないけれど、だからやってはいけないことではなく、やればいいことがあるからやるわけでもありません。
幼稚園の砂場を見ていると、人間はよくもここまで夢中になれるものだと感動すら覚えます。一心不乱という言葉がありますが、自分でやるぞと決めて突き進む先にはきっと充実したなにかが待ち受けると信じます。
大人のできることは、そのチャンスをそっと用意したり、子どもの試行錯誤(いつもうまくいくとはかぎりません)をそばで応援することに尽きるでしょう。そして、私も含め、ほかならない私たち大人が自分で自分の人生を精一杯責任をもって(=喜びをもって)生きることだと思います。古い言い方になりますが、「背中で語る」というやつですね^^
PS
責任=喜び、というフレーズはなかなか理解してもらえないのが日本語のつらいところです。このことについて、かつて「自由と責任」と題するエッセイを書きました。ご参考まで。