学校の勉強についてあれこれ考えています。

昨日の内容に関連した過去のエッセイがあります。

学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや――根気強く学び続けるために大切なもの

復習を大事にする習慣が身につけば、学ぶことに謙虚になれます。

私は高校時代古文の先生の出された課題に衝撃を受けました。

次のそれぞれの文の違いがわかるように訳せ。
「花咲かなむ」と「花咲きなむ」
(以下略)

復習が大事と書いていますが、自分がいかに不勉強だったかの告白です。この手の問題が10ほどあって、私は3つしかできませんでした。上に挙げた問題も、両方とも「花が咲くだろう」とごまかして書きました。

ただ、この問題を受けた後から古文の勉強の姿勢が俄然変わりました。未然形や連用形といった文法用語について、自分で完全に理解し、先生の代わりができるまで復習するのにさほど時間はかかりませんでした。

英語が苦手という生徒は星の数ほど見てきましたが、ほとんどの生徒は助動詞一つあいまいにとらえています。かつての私が古文についてそうであったのと同様にです。

進学校も普通の高校も関係ありません。どこでも基礎はしっかり教えてくれるのです。問題は受け手の側にあります。

He goes. He will go. He shall go. He would go.といった例を見れば、単語の意味がわかっても、正確に訳せない自分が発見できます。

これは先生がいくら声を上げて「大事だ!」と連呼しても心に届くかどうかは、本人の学習姿勢次第です。

学校の先生のさまざまなメッセージを鋭敏に受け止める感性を磨くためにも、小学校時代は「復習をていねいにする」姿勢を子どもたちには身につけて欲しいと願います。

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