山びこ通信最新号の記事を書き終えました。
そのモードでいくつか補足のような文を書きます。
明治開国のスローガンがいくつかあることを中学校で学んだ記憶があります。
「和魂洋才」、「富国強兵」、「殖産興業」の三つだったと思います。
明治開国といえば、だいたい150年ほどまえの話ですね。
人間の意識は100年や200年ではそう簡単に変わらないもののようです。
私は「和魂洋才」の意識でいくと、教育はダメになると思っている一人です。
といって「洋魂」に乗り換えるべし、というわけでもありません。
洋魂を根本から学ぶ手間を省き、わかったふりをしているのが今の姿ではないかと思っています。
それだと本当の意味で「和魂」もわからないままだと思っています。
ちょうど鏡がないのに、自分の姿がわからないのと同じです。
民主主義にせよ、学校教育制度にせよ、洋魂のたまものです。
それは源氏物語が日本で生まれたと言うのと同じ意味においてそうです。
ものごとを深く問うことをせず、手っ取り早く形だけ模倣する。
そして、「もっと多く、もっと早く」と効率至上主義に走る。明治のスローガンは今も生きています。
「じっくり、ゆっくり」はダメなのでしょうか。
私は、じっくり根本からものごとを考える喜びを子どもたちと分かち合いたいと思い、山の学校を始めました。
同時に、子ども心をもった大人も対象として、です。
いわば「同志」とともに「世間にもてはやされないが大事なもの」を追求する象徴的行為として、「ラテン語」のクラスを始めました。
言うまでもなく、ラテン語は洋魂の別名です。
一人でも多くのファン(ラテン語学習者)を増やしたい。
それが、学問と真理と自由を尊ぶ社会につながると信じるからです。
そのような社会に貢献してこそ、幼児教育の「その後」に責任をもつことになると思います。
学問と真理と自由。今はどうでしょうか。これからは?
幼児教育はどうでしょうか。「預かればよい」という風潮は教育を軽んじたものの言い方です。
これも明治のスローガン(殖産興業)が真の教育の実践を阻む一例だと私は見ています。
ですから、私の中では幼児教育とラテン語教育はしっかりつながっています。世の中の理解を得るのに100年かかるかもしれませんが。