世の中はめまぐるしく動いているように見えます。

今も昔も変わらないものは何かと考えたとき、私は一人ひとりの子どもたちが、(押し付けられたものでない)自分の考えを大事にしてほしいと願います。

不動なものを見つめ、心にとどめれば、世の中のアップダウンに付き合わされる可能性が軽減します。

自分の考えを大事にするとは、言うは易く行うは難し、です。しかし、それを重んじることが民主主義の基本になります。

様々な試練をくぐり抜け、その態度は、古来尊重されてきたはずです。逆境の中にあってなお、キケローはこのことの大切さを訴えました。

>>「Ipse dixit.子曰わく」(山びこ通信の巻頭文)

2000年前もそう信じられ、それが今に伝わる、ということは、これから1000年、2000年先もそうなのでしょう。

個々の言論を重んじる態度は、この日本で十分に重んじられてきたとは思えませんが、それだけに、これからますます教育の重要な課題になると思われます。

学校に行けば成果主義と無縁ではいられませんが、それがすべてではない以上、子どもたちの価値観のバランスをとるうえで、家庭教育の果たす役割は大きいです。

一人一人の考えや発言の重みについて、どれだけ親が子の言葉に耳を傾け、互いを尊重した対話が成り立つか。このことを率先してふりかえり、あるべき方向を考えて手を打つべきは、まずは親の側であり、学校においては先生の側である、と思います。

もとより簡単に答えの出る問題ではありません。

テーマとして心にとどめればこそ、さまざまな事例に即して「葛藤」が生まれることになりますが、その「葛藤」(心の中でのディベート=ああでもない、こうでもない)は、積極的な「迷い」と言うべきであって、その範囲後は「頭ごなし」ということでしょう。

私自身、これを大事なテーマとしてとらえつつ、日々あるべき教育の姿を追求し、実践しているつもりでも、折に触れて様々な「葛藤」を余儀なくされ、あのときはこうした方がよかったのではないか、いや、こうすべきだったのでは、といった具合に考え続ける毎日です。

関連記事: