子どもは、大人の使う言葉に興味を持つ時期があります。
根掘り葉掘り質問して困らせることがあるかもしれません。
「できれば」の話ですが、「おもしろいことを聞くね」という気持ちをこめて、できる限り誠実に対応したいものです。
たとえば、「~はどういう意味?」と聞かれたら、わかる範囲で答え、なお不足を感じたら辞書を引いて補足するとか、です。
そのような対応ができない一番の理由は「時間がない」ということだと思います。
ただ、より根本には、子どもの好奇心を軽く見ているため、という事情が働いているようにも思います。
「一期一会」という言葉がありますが、この一瞬は二度とこない、という気持ちをもって子どもの問いには答えたいと思います。
誠実な対応は子どもの心に大事に残ります。
私は小さいころ、父に「『ひっし』ってどういう意味?」と尋ねたことがあり、「必死」の意味から始まり、最終的に「必至」の意味まで答えてくれたことを思い出します。
幼稚園でなく小学校の低学年だった気がしますが。
「自分で調べなさい」というのも簡単ですが、「いいことを聞くねえ」というノリが大事です。
いつも書きますが、英語についても、対応一つでは、司馬遼太郎が英語嫌いになったように、その科目そのものが嫌になります。
子どもは大人が思う以上に気難しいものです。
逆に言えば、塾やその他に勉強をアウトソースしなくても、親自身が子どもの好奇心に誠実に向き合えば、子どもは必ず自分で調べて問題を解決できるようになります。
幼稚園や小学校の低学年の頃はなかなか一人で調べる、ということはできません。
早い遅いの問題は抜きに、少なくとも「初期」の段階での親のヘルプは必要です。
ヘルプとは「調べ方」を教える作業のことですが、その前提は、親が子供の好奇心を全面的に肯定する(=そういう問いを出したことへの喜びを心に抱く)態度です。
私はずいぶん前のことになりますが、年長児がラテン語のことを聞いてきたことがあり、いったん部屋に戻り、便せん2,3枚に返事を書いて渡したことを思い出します。
子どもの質問には、相手が大人であるのと同じ気持ちで、誠実に答えたいと私自身はいつもスタンバイしています。