「君子は器(き)ならず」は好きな言葉の一つです。
この言葉をめぐる解釈はこのブログで幾度となく扱ってきました。
ちょうど一年前に、まとまった意見を書いています。今読んでも、まあこういうことだな、と思います。
教育は「人間」を育てるのか、「人材」を育成するのか。
様々な立場で、様々な意見があるでしょう。
国の方針は、長らく後者に傾いています。それが子どもたちの学校生活の苦しみを生む元凶だと私はとらえています。
製品管理に数字という客観的な基準が不可欠なように、教育の現場でさまざまな数字を用いた指標がとびかいます。
数字は比較を可能にし、互いの競争を生みます。勉強を他人との競争と結び付けてとらえると、誰も勉強の本当の面白さ、楽しさを味わうことはできません。
人間が人間らしく生きるために、「君子は器ならず」の言葉を肝に銘じたいと思います。
この言葉の西洋古典バージョンは、ずばり、「ホモー・スム」(私は人間である)だと私はとらえております。
人間が人間としての主体性を回復するには、そして数字を前に判断に迷う時には、「自分は自分」と腹にすえれば済む話だとは思っています。