今日は勤労感謝の日です。

働くことの意味を少しだけでも考えたいと思います。

古代ギリシャの詩人ヘシオドスによると、もともとの人間は働かなくても食べていけたといいます(黄金時代)。それが今は鉄の時代で、人は(鉄で作る)道具を用いて労働を余儀なくされています(理由はプロメテウスが火を盗んだためゼウスが人間に罰としての労働を与えたとされます)。鉄は道具と共に戦争の武器にもなります。つまり現世は労働と争いの時代だといいます。

ローマの詩人ウェルギリウスはこの考えをベースにしながら肝心な点で改変を加えています。ユピテル(ギリシャ神話のゼウス)は人間に「罰」でなく「試練」として労働を与えたといいます。現実のさまざまな困難を人間は工夫と努力を尽くして乗り越えて文明を発展させてきたことに光を当てています。

確かに人間の世の中は労働なしに成り立ちません。世の中のさまざまな困難は個人・社会・国家にとって、成長・発展の踏み台だという考えをくみとりつつ、このローマの詩人の残した、「労働はすべてに打ち勝った(Labor omnia vīcit.)」という言葉をご紹介します。

ただし、この同じ表現について、「苦しみが全世界に蔓延した」と訳すことも可能です。この訳から、私たちは同じヘシオドスが語ったパンドラの壺(元は壺で、いつしか箱に変化しました)のエピソードを想起してよいでしょう。

「ジュピターの与えたあらゆる試練に打ち勝った」と読めば、目の前の文明国家を賛美することになり、一方、「パンドラの話のように、世の中全体に苦しみが広がった」ととれば、詩人が現代人と変わらない視点で世の中の矛盾を眺めていたことに思いが至ります。

ラテン語は一語の持つ意味の幅が広いため、二重三重に意味をくみ取れる点が面白いです。

先ほど山の学校の「ラテン語の夕べ」というイベントで講演を終えました。上のような話をあれこれしています。来月17日(土)は「音楽とラテン語」という題で、ラテン語と音楽にまつわるいろいろな話題(ドレミの歌がラテン語で書かれたことや、GLORIAのラテン語歌詞の意味や、あれやこれや)についてお話しします。

予習不用の講義形式ですので、よろしければご参加ください。

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