ラテン語に「熱意は習慣に変わる」という意味の言葉があります(オウィディウス)。

「論語」に「性、相近きなり。習、相遠きなり。」という言葉があります。

人の本性は似ているが、習慣によって大きな差ができる、という意味です。

習慣は教育(学校、自己)によって作られます。ラテン語の表現を足して考えると、熱意の有無が大きな差をつくる、と解釈できます。

熱意とはなにか?やる気とは何か?

幼稚園時代の「遊び」にヒントがあります。

本当に勉強に熱心な生徒・学生は、幼稚園児が夢中になって遊ぶように、寝食を忘れて勉強に取り組みます。

「勉強」は「勉めて強いる」と書きますが、英語のスタディーは「熱意」を意味するラテン語のストゥディウムに由来します。

数学者岡潔の言葉を引きます。

岡潔:人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむつかしい。 (小林秀雄・岡潔対談『人間の建設』より)

熱意とは自分で自分を駆り立てる力です。

親や教師があれこれ言えば言うほど子どもの熱意に水を差すだけです。

親は励ましのつもりでも、子どもは命令と受け止めます。

他人と競争する手段として勉強を位置づけるとき、短期的に効果はあっても長続きしません。

勉強をなにかの手段にしてしまうと、目的を達成した瞬間勉強しなくなります。

不謹慎に聞こえますが、小さいころから「遊ぶように学ぶ」習慣づけが一番長続きします。

それには環境が重要です。親自身があれこれ「遊ぶように学ぶ」人であれば、何も憂いはないはずです。

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