新しい年の始まりです。
お山の石段を一歩一歩登っていくと幼稚園があります。
まさにステップバイステップ。
子どもたちは毎日これを経験して大きくなります。
歯を食いしばって目標に向かって一目散、ではなく、気がつけばてっぺんについていた、という感覚も経験します。
大人の私たちも毎朝同じことを経験します。
ちなみに一人で石段を上ると「ゴールはまだか?」と思うこともあります(笑)。
大人の立ち位置が重要です。
子どもより先に立って手招きしたり、声をかけて応援するやり方はスポーツ的です。
一方、大人が子どもと一緒にのぼれば、空にかかった虹を見ることもでき、道端の花を見て「きれいね」と声を掛け合うこともできます。
ここで先日ご紹介したエンデの言葉を思い出すことができます。
現代の子供に関する考え方には大きな間違いがあると思います。それは生まれ落ちた子供は、いわば空っぽの袋であって、そこに何か詰める作業が早ければ早いほど、のちの中身は増えるというものです。 『エンデの文明砂漠』
袋に何をつめるのか、その「結論」を知っている立場から見れば、子どもは「空っぽの袋」にすぎません。
学校と幼稚園の一番の違いはこの前提にあります。
学校は「減点主義」にもとづき知識で袋を満たそうとします。すなわち「減点」がゼロになるよう指導します。
対する幼稚園は、子どもも大人も人として充実した袋の「中身」を備えていると考えます。
そしてその袋は経験ととともに今後ますます大きく成長するとみています。
だからこそ花を見て「きれいね」と言葉をかわすことができる、すなわち互いに備わった「美意識」を確認しあうひとときも持ちえます。
もちろん幼稚園でも設定保育があり、さまざまな指導もあります。
ただし、子どもが窓の外をぼんやりながめているとき、学校では「何をぼんやりしている」と叱咤されるのに対し、幼稚園では「何を見ているのかな」と先生は共感したうえで、次の一言を選ぶでしょう(いいかえれば子どもの心の物語に耳を傾けます)。
わたしは学校VS幼稚園という対立をあおりたいのではなく、幼稚園と違い世の「点数至上主義」に影響を受けざるを得ない学校の立場を憂慮する一人です。
つまり先生も「減点主義」(or 満点主義)に加担せざるをえない現実があり、その現場を象徴するキーフレーズが「くらべる」ことであることに警鐘を鳴らしています。
しかし人間はみなオンリーワンであり、同じものさしで互いの違いを測定できません。また、学校教育の本来の使命に照らせば、満点という狭い枠をつきぬける大きな志を抱く子どもたちを一人でも応援してもらいたいものです。
かりに当面学校のシステムが変わらないとしても、私はいつも言うように、親は子の袋の中身を充実しているとみなす第一の人であってほしく、その態度が子どもの三つ子の魂を守るいちばん大事な条件になると思います。
階段の比喩は「減点主義」(=満点からの引き算)の「見える化」ですが、親は子の(そして同時に自分の)「経験の足し算」になにより心を砕き、たくさんの言葉をかわし、たくさんの思い出の種まきをしていただけたらと願います。
本年もよろしくお願いいたします。