コップに水が50パーセント入っているという客観的事実に対して、「半分ある」と受け取るか、「半分しかない」と受け取るか、主観によって分かれます。

ものはとりよう・考えようだということです。

受け止め方、考え方次第でどうにでも解釈できるのが人間社会の常。

であれば、できるだけポジティブな受け止め方を心がけるのが何かとよいように思います。

子育てに関しても同じことがいえます。

以前、新入園児保護者会でお話しした内容をこのブログで簡潔に要約しました。

題して「啐啄の機:新入園児保護者の皆様へ

以下転載します。

「啐啄の機」(そったくのき)という言葉があります。卵の中のひな鳥が外に出ようとして殻をつつき、親鳥もそれに呼応して外から殻をつつきます。そのタイミングが絶妙に一致することを表す言葉です。未知の世界に飛び込み、自立の一歩を踏み出すことへのためらいは、大なり小なり誰にでもあります。幼児の側にその気持が強いと「お母さん、ついてきてー」となります。逆に、子どもが特に求めていないのに、「私がいないとこの子はだめ」と親が思い込み、どんなことにも子どもの要求にこたえていると、子どもは甘えて登園を渋ることがあります。親子の息がぴったり合えば、笑顔で登園できるというわけです。

子どもが登園を渋るかどうかは入園しないとわかりません。経験上言えることは、「もしもダメだったら、幼稚園までついていってあげるからね」という言葉は禁句だということです。「ついていってあげる」は、耳当たりのよい言葉ですが、「この子はついていかないとだめだろう」という親の本音が見え隠れします。子どもは「自分は信じてもらえていない」と思うかもしれません。すると「期待」(?)にこたえてぐずります。

大人同士なら「仮定の話をしているだけだ」と言い訳できますが、3歳の子どもに「もしも」の条件文の意味は理解できません。「あなたはダメだ」と、「お母さんは幼稚園までついていく」という情報しか伝わりません。どちらも一番伝えたくないメッセージです。では、その逆の言い方は何でしょうか。私なら「一人で幼稚園にいけるって、いいね」と羨ましそうに言うでしょう。この場合、「あなたは一人で幼稚園に行く」というフレーズと、「あなたはいいね」というポジティブなメッセージが心地よく耳に届きます。

入園前には様々な準備が必要ですが、たとえば子どもの前で保育用品に名前を書きながら、今述べた「いいね」の言葉をさりげなくはさむと効果的です。「まあすてきなお絵描き帳ね。お母さんが○○ちゃんの代わりに幼稚園にいきたいくらいよ。いいね」といった具合にです。

子どもであれ大人であれ、人間は暗示に弱い生き物です。幼児との会話を通じて、ポジティブな表現を日頃から意識すると、親子関係だけでなく、大人同士の人間関係にもプラスの影響が出るでしょう。言葉の工夫によって、日頃から子どもの周囲を明るい空気で包むなら、「よし、やろう!」という気持ちを子どもから引き出すことができます。「啐啄の機」に際し、親が前向きな言葉をかけることで、子どもが「公の人」として外の世界で活躍できるように導くことができるのです。

これが正解というわけではなく、ものはとりよう・考えようの一つのヒントとして受け取っていただけたらと思います。

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