老子は「道の道とすべきは常の道にあらず」と述べました。
「常の道」とは「世間の常識」と関係していると受け取ると意味が通じやすいです。
壁に直面するたび、自分は世の中の常識にとらわれていないかどうか、自問自答します。
教育の世界は自由を標榜しながら世の常識によってそれを束縛する空気が無きにしも非ずです。
もっとも常識を疑うことは簡単ではなく勇気がいります。
先日ファックスで「こういう時代だから何か新しいことを!」とPR文が届きましたが、それもまた常識です。
常の道にあらずの選択肢は、変えない勇気をふるいたたせることでもあります。
もちろん新しい事への挑戦を心から望むなら、それもまたよし。
要は自分で考え、自分で行動し、その結果は自分が背負う。
その道は本来人間の数だけあるはずで、常の道とは呼べません。
一方、この話題を家庭教育に引き寄せて考えるとき、私はいつも、孟母とエジソンの母親の姿を思い浮かべます。
わが子の真の幸せを思えば、親には常識を疑う勇気が湧きあがるでしょう。
何がその源にあるのでしょうか。
東洋の古典にパッと思いつく言葉は見当たりません。
究極的には「仁」なのでしょうが、ちょっと焦点がぼけていて、「義を見てなさざるは勇なきなり」だと大上段に構え過ぎの気がします。
私がすぐに思い浮かぶのは、「愛はすべてに勝つ」というウェルギリウスの言葉です。
人によってはキリストの愛を思い浮かべるのではないでしょうか。
「愛は比べない」という言葉があります。
私は信者ではありませんが、聖書の言葉は簡潔に人生の真理を照らしています。