年長の俳句で「かたつぶりそろそろ登れ富士の山」に取り組んでいます。
「そろそろ」について二つのとらえかたがあります。
ひとつは、たとえば「そろそろ~しようか」と相手の行動を促すときに使う副詞の意味で、もうひとつは、「ゆっくりと」の意味です。
一つ目の意味で「そろそろ」を理解すると、じっと動かないように見えるカタツムリに対していらだちを隠せず、「もういい加減動いたらどうだ」という気持ちで「そろそろ登れ!」と命令することになります。
二つ目の意味でとらえると、じっとしているように見えて少しずつ動いているカタツムリに敬意を表し、「よく頑張っているね。そのままゆっくりでいいから頑張って登るんだよ。そうしたら富士山のてっぺんまで登れるよ」という温かいまなざしで応援する気持ちが伝わります。
この解釈の問題を今年の年長の俳句の最初の時間に取り上げ、一茶は二つ目の意味で「そろそろ」という言葉を使っています、と説明しました。
カタツムリの速度を計算した研究者がいます。
その人の言う速度を当てはめると、朝登園するときに石段下でスタートしたカタツムリは、子どもたちが降園するさい(午後2時過ぎ)お山の途中の曲がり角あたりで出会うことになる、と言いました。
「遅い」といって馬鹿にしますか?「ぼくたち、私たちが幼稚園で過ごす時間ずっと登り続けていたのだ。えらいな」と思いますか?
一茶の気持ちは「えらいな」というものです、と私の解釈を伝えました。
話変わって、私が保護者にお話しする内容も、基本的にはこの解釈の話に尽きると言えるでしょう。
同じ目の前の現象に対し、視点が変わるだけで気持ちが変わるものであり、気持ちが変わると視点も変わる、ということです。
子どもたちは大人と違い、やることなすこと、遅々として進みません。
その事実をどう受け止め、どう励ますか。
一茶の俳句から導ける答え。
それは、いちばん大切なのは小さくてもゼロではない努力への「敬意」だということです。