今日は平和について思いを寄せたい一日です。
西洋古典をひもとくとどのようなヒントが得られるでしょうか。
戦争はラテン語でarma(アルマ)、平和はpax(パークス)といいます。
2千年前のローマの詩人ウェルギリウスは、叙事詩『アエネーイス』を「私は戦争と一人の勇士を歌う」(Arma virumque cano.)という言葉で始めました。
ローマの叙事詩というと血なまぐさい好戦的な内容の作品を思い浮かべるかもしれません。この出だしからしてその可能性大に思えます。
しかし、事実はその逆です。
1万行の作品を一言で要約することは不可能ですが、あえてそれを行うなら、「人類は必ずや法に基づく永遠の世界平和を樹立するであろう」という詩人の心からの祈りを込めた作品である、と言い表すことができます。
ウェルギリウスより少し前の世代の詩人としてルクレーティウスがいます。
知る人ぞ知る詩人と言えるでしょう。
興味のある方は、『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房、2009年)がお勧めです。
ルクレーティウスの写本の発見がルネサンス幕開けに大きな力を及ぼしたことがわかります(ガリレオやニュートンにも多大な影響を与えました)。
ウェルギリウスはこのルクレーティウスから多くのことを学びましたが、一言でそのその中身を述べれば、「心の平和を大切にすることの大切さ」ということでした。
一人一人が心を整え、安らかな心になるには何が大切か。ルクレーティウスは7千行余りの詩(『事物の本性について』)の中で、この問いに対する答えを明快に述べています。
心の平和の考え方は、仏教その他の教えと重なる部分は大きいのですが、その実現へのアプローチとして原子論(万物はアトムでできている)を持ち出す点がユニークです(その考え自体は彼が師と仰ぐエピクーロスの哲学が基礎となります)。
西洋古典は、原文を読む必要はなく、翻訳を読めば扉が開きます。
しかし、神話にまつわる見慣れない言葉遣いや、前提となる知識も多々あるため、現代小説を読む気持ちで古典の翻訳を開いても、(私もそうでしたが)1,2ページで眠たくなります。
私の大学時代の先生は、「慣れることが大事です」とだけおっしゃいました。
眠たくなく読み続けるには、やはりガイド役が必要かもしれません。
山の学校は、そのガイド役を務めています。
中学、高校生も(翻訳で)西洋の古典文学に挑戦しています。すでにセネカの作品、『アエネーイス』が最後まで完走されました。
今年は高校生がラテン語に挑戦しています。受講理由を聞くと、大学で留学を考えているが、その際古典語を学んだことを実績としてアピールしたい、とのこと。しっかりしています(本園卒園児です)。
以前は古典ギリシャ語に3年間挑戦した生徒もいました(これも卒園児です)。
20年前にラテン語を初歩から学び、今はラテン語上級に籍を置いている卒園児保護者もおられます。
日本は中国の古典から多くのことを学び今に至ります。
明治以降、欧米から多くのことを学び、吸収し、独自に生かしてきました。
しかし、西洋の古典にはほとんど関心を寄せずに今に至っています。
じつにもったいないことだと思います。
オリンピックがそうですが、世界共通のルールを知って、国境を越えて活躍する時代において、そのルールの源を理解しておくことは、かつてないほど重要です。
平和は人類共通の願いです。その実現に向かっては、これまで試された、古今東西すべての平和への祈りの言葉をできるかぎり等距離で接する環境づくりが待たれます。
西洋古典の真髄は、法と法則だと思っています。どちらも日本人が世界で力を発揮する上で常識としておきたい概念です。
「法則」の部分はすでに手の内に入れていますが(国の支援は乏しくなっていますが)、「法」の軽視は目を覆いたくなる現状です。
平和の第一歩は人づくりからです。
目の前の子どもたちの未来が少しでも明るいものになるために、私は幼児教育の実践と西洋古典の普及に努めてまいりたいと思います。