大人と子どもの違いは何でしょうか。

大人は子どもと違って「時間がない」が口癖です。

ローマの哲人セネカは、この口癖に手厳しいです。

『人生の短さについて』の中で、時間を無駄なことに使うと人生は短く、有意義に使うと十分長いと言います。

このセリフはどこかで聞き覚えがあるのではないでしょうか。

『モモ』の灰色の紳士のセリフです。

ミヒャエル・エンデはセネカの作品を熟読していたと思われます。

『モモ』では、セネカが示した「有意義」と「無駄」の価値観を一転させています(一種のパロディです)。

すなわち、『モモ』の灰色の紳士は、セネカが「有意義」とした時間を「無駄」な時間とし、その「無駄」を省いて浮いた時間を時間銀行に預けよとそそのかします。

では、セネカは何を有意義な時間だと規定しているのでしょうか。

キーワードは「古典」、「哲学」、「読書」です。

平たく言えば、古典を読み、人生について考える時間は大切だということです。

「古典作家たちは誰も訪れた者を手ぶらで帰さない。訪れる人をより幸福にし、自己を愛する人間として送り出す」(人生の短さについて、14.5)

個人の感想を述べると、今あげた3つのキーワードは、現代社会でどんどん希薄になっています。

小学校以上の教育において、すでに希薄です。

子どもたちは「灰色の紳士」に時間をどんどん時間を奪われているようです。

ギョッとする方がおられたら、一度セネカの作品を手に取っていただくのがお勧めです。

子どもを取り巻く環境がどうであれ、子どもの教育の主体は親にあります。

親自身が自分の価値観に責任を持てば、時代がどう移り変わっても無問題です。

余談ながら、セネカの主張は、吉田兼好が『徒然草』で述べていることに似ています。

「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」

これは、セネカと同様に、古典作家たちとの対話の勧めている言葉と受け取ることができます。

「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るゝなり。」

これは、セネカに限らずローマ人がこぞって口にしたメメントモリ(死を忘れるな)のメッセージと解釈できます。

セネカの翻訳は岩波文庫で出ています(タイトルは『生の短さについて』)。

セネカの考えの概要を知るには、『ローマの哲人 セネカの言葉』(中野孝次、講談社学術文庫)がお勧めです。

昨日書いたように、人生何歳になっても、「よし、やってみよう」と挑戦する心が大切なのだろうと思います。

セネカをはじめとする古典作家は、そうした自らを奮い立たせる気持ちをいつも応援しています。

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