先週水曜日の登園時、年長のK ちゃんと語ったテーマが表題の「二つの道」。小学校に行くと一番の親友と別の学校に行かないといけない、ということを気にしているようでした。次のようなことを話しました。

お山の途中で二つの道があるでしょう、みんなはいつも右に曲がるけれど、おかあさんといっしょならまっすぐの道を登る。でも、どちらを選んでも登っていると同じ場所に着くね。先生も幼稚園のころのお友だちと小学校に上がるとき、また中学校に上がるとき、別々になったけれど、大人になってまた会えたり、仲良くなったりしているよ。同じだね。

1年単位で見れば、同じ幼稚園に通っていても、違うクラスになったということで、悲しい気持ちになります。1日単位で見れば、親友が幼稚園を休んだというだけで、気持ちがふさぐこともあります。

こうしてみると、人間のつきあいには、いつも「会う」ことと「別れる」ことの二つの道が目の前に広がっていることに気づきます。日本語に一期一会という言葉があります。忙しい時にはそう思えませんが、よく考えると、自分自身いつも会える、会えるのが当たり前だ、と思う人たちがいるとしても、けっしていつまでも逢えるものではない、という事実に思いが至ります。

だからこそ、今日が最後の出会いかもしれない、と思う気持ちも忘れることなく、目の前の人と接したい。そう思います。

そんなことを考えていた水曜日。お帰りの道の途上、幼稚園時代の友人と偶然遭遇しました(何十年ぶり?)。彼は開口一番「ぜんぜん変わらへんね」と言いましたが、それは私も同じ事を思いました。旧友同士の目には50になっても互いに子ども時代の顔に見えるもののようです。

ということで、私の幼稚園時代のお遊戯の写真を探してみました。その彼がここに写っているわけではありませんが、前後の友達は今も名前が言えますし、中には保護者としてお子さんを本園に通わせてくださった方もいます。さて、私はどこでしょうか。

お遊戯
私が幼稚園時代のお遊戯。私は右から三番目。

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