夏休みに限らず、家のお手伝いは子どもにとってとても大切な学びの機会ですね。
子どもにやらせるほうが、失敗もするし、かえって親として手間隙かかることになりますが、他では得られない経験を子どもたちはしているわけですから、そこを親としてどう解釈するかです。
いろいろお金を出して、ものを教えてもらうことも大事ですが、私がいつも思うことは、身近なところに学びのきっかけは転がっているということです。なかなか、子育ての渦中に居るとそのことに気づきにくいのですけれども。
私は生まれたときから、幼稚園の中で育ちましたので(今の園長室のある建物が自宅でした)、園のゴミおろし(山の上なので「降ろす」わけです)、園が始まる前の掃除、園舎の戸のかぎ開けなどを小学校のころから(大学になっても)手伝っておりました。
両親とも朝から晩まで幼稚園のことでフルに働いているのを見ているので、自分だけじっとしていられるような雰囲気ではなかったと思います。
今から思えばこれも「教育」だったと思います。いまどきの親はなかなか言わないせりふかもしれませんが、「勉強よりも家の手伝いが先である」という考えは父から叩き込まれました。
このことは父の強い信念だったようで、事実、その言葉通り、大学進学を断念して(試験の一週間前に!)幼稚園の「手伝い」をするようになり、以来53年その道を歩き続けた人だけに、言葉の重みが違いました。
『論語』にも、「行有余力、則以学文」(行いて余力あらば、すなわちもって文を学ぶ)というのがあります。まさに父の言葉通りだと解釈しております。