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試行錯誤。英語で言うとトライアル・アンド・エラーとなります。仕事を進めていく上で大事な言葉です。

目標を定め挑戦し、結果を見て改善点を考え、またチャレンジしては改善し、そして前進していく。この一連の流れにおいて、やはり大事になるのが「改善点の分析と検討」です。このプロセスをおろそかにしてやみくもに「チャレンジ、チャレンジ」と気合をかけても「下手な鉄砲数うちゃ当たる」的な無責任さがただよいます。

何事も終わったらやれやれと腰を下ろしたいのが人情ですが、そこをぐっとこらえ、分析の時間をしっかりとることによって、次にチャレンジする際の気構えをコントロールできます。

わかりやすい例は学校の勉強です。試験を受ける前の気構えは試験を受けた後の態度で測ることができます。ほとんどの生徒は「終わってやれやれ」でしょうが、向上する生徒は必ず結果に対する綿密な分析と次への展望を検討し、その日から準備に入ります。

学校の勉強は責任をもって仕事を進めていく力を養うよい練習になります。知識の授受がすべてではない、満点をとってもその先がある、というメッセージをこめた取り組みとして山の学校の活動があるのですが、その活動の楽しさを享受するためのベースづくりとして、私は学校の学習を大事にしてほしいと思っています。

先日教員養成大学の先生と話を交わす機会がありました。小論文の試験で「自分の考えを述べよ」というのがあるが、自分はあれには反対だ、とおっしゃいました。それより大事なのは、相手が言っていることを正確に理解し要点をまとめる力であると。それができたうえで、自分の意見を述べるチャンスが得られるというのがその先生のお考えで、私も賛成です。

たしかに昔の大学入試をふりかえると、現代国語の問題は大意要約が主流でしたが、今は姿を消しています。孔子の言葉に「学びて思わざればすなわちくらし。思いて学ばざればすなわち危うし」というのがあり、要約をする力をつけるのは前者、自分の意見を述べる練習が後者にあたります。

要約だけだとなぜこんなことをやるのだろうと、その意味が暗くなる、ぼんやり曖昧になりますが、それをやらずに最初から自分の考えばかりを先走りさせると孔子に言わせるとそれは危険だということになります。

私が今回述べているとは、きちんと「学ぶ」態度を身に付けるべきであり、それは真摯な試行錯誤を要求するものですが、それができた人は「自分の考え」を自由に展開する喜びを享受できるので、そのためにも仕事や勉強の基本である試行錯誤を大事にしていきたいと思う、ということです。

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