2000年前のローマの詩人ルクレティウスが平和の祈りの書を書きました。
イエス・キリストが誕生する以前の話です。
内乱のローマにて、真の平和の実現の条件は一人一人が心の平和を実現することであると考え、そのための処方箋を7400行ほどの詩であらわしました。
様々な理由から人間が無用な争いに駆り立てられ生きていることを冷静に洞察しています。心の不安の原因は何か、それを取り除くにはどうすればよいか、当時の哲学をベースに論じています。
人は才能を競い、身分の上下を争い、夜も昼も
並々ならぬ労苦を尽くして権力の高みを
目指し、富を手中に収めようとあくせくする。
おお憐れなる人間の心よ、おお盲目なる精神よ。人生のなんという暗闇の中で、なんと大きな危険の中で、
生涯が刻一刻と過ぎていくことか。目に入らないのか、
自然は君に向かって叫んでいる、肉体から苦痛を
遠ざけよ、不安と恐れを取り去って、喜びに満ちた
感覚を心から楽しむようにしたまえ、といって。
抽象的な表現ですが、私には他人事に思えません。教育に身を置く立場として、競争、争い、身分の上下といったフレーズは次の岡潔先生の表現と重ねるとところが大きいと思えます。
私は義務教育は何をおいても、同級生を友だちと思えるように教えてほしい。同級生を敵だと思うことが醜い生存競争であり、どんなに悪いことであるかということ、いったん、そういう癖をつけたら直せないということを見落していると思います。(岡潔『人間の建設』)
山の学校のモットーは「楽しく学べ」(アウソニウスの言葉)ですが、現代の多くの人には浮世離れした表現に思えるかもしれません。「楽しく」とは「楽に」ではなく、他人との比較に一喜一憂することでもなく、本当に学びたい対象についてとことんまで極めようとする態度をいいます。
学校はギリシャ語で「暇」を意味し、ラテン語では「遊び」を意味したことも示唆的です。
「本立ちて道生ず」と言いますが、本来じゃないことを一生懸命やっていると、心身のどこかに異変が生じます。
岡潔:人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむつかしい。 (小林秀雄・岡潔対談『人間の建設』より)
山の学校の考えを代弁してくれています。
今日は(も)平和について考える日ですが、私は子供たちが殺伐とした心で日々過ごす現実があるとすれば、それを何とかしたいと心から願います。