昔も今も子育てに悩む親は星の数ほどいたということを知るうえで、古代ローマの喜劇は参考になります。

2千数百年前のテレンティウスの『兄弟』の冒頭に次の独白があります。

・・・兄貴こそ厳し過ぎるし、あれではお世辞にも褒められない。
力で得た支配権が、友愛で結ばれた絆以上に 65
揺るぎない確かな価値をもつと信じることは、
まったく根本から間違っていると思うのだ。
わしのやり方、考え方はむしろこうだ。
罰を恐れて義務を果たす者は、
事がばれるのを恐れる間だけ気をつければそれでいい。 70
ばれずに済むと思ったら、また自分のしたいことに取り掛かる。
一方、情愛で結ばれた子供は、何をするにせよ心を込めて行うもの。
親に恩返しをしようと努め、親がいてもいなくても変わらぬ自分でいる
だろう。
父親のなすべきは、息子が他人に脅されてではなく、
自分の意思で正しく行動できるようにしつけること
である。 75
この点で、父親は奴隷の主人とは大違いだ。このしつけの出来ない者に
限って、
子の教育がうまくいかないと告白する羽目になる。

太字にした箇所は現代にも通じる考え方のように思われます。

ただし、作品の展開を丁寧に読むと、作品終盤に大きなどんでん返しが待ち受けます。
そして上の引用文で批判されている「兄貴」によって上の独白の主(弟)が強く批判されるオチが待ち受けます。
古来このオチは作品の価値を損なうとして不評なのですが、私はこのオチこそ作品の価値を高めるものとみています。

>>テレンティウス『兄弟』の解説

京大学術出版会の「西洋古典叢書」に翻訳があります。
有志の方が対訳の形で翻訳を読めるようにしています。
テレンティウス『兄弟』(対訳)

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