Abeunt studia in mores.  
熱意は習慣に変わる。Ov.Her.15.83 オウィディウス『ヘーローイデス』

一心不乱に何かに取り組む姿勢は尊いものです。それが反復され、継続されると、その姿勢はやがて習慣として定着する、という趣旨の言葉として今に伝わります。

「熱意は習慣に変わる」という言葉を見て、「習い性となる」と似ているな、と思った方もおられるでしょう。「習い性になる」は中国古代の歴史書『書経』に出てくる言葉で、「習慣はやがて性格になる」という意味で理解されます。細かく見れば、表題と微妙に異なる言葉遣いになっていますが、同じような趣旨のことを述べていると見てよいでしょう。

英語で似た表現を探すと、Habit is a second nature.(習慣は第二の天性なり)という言葉が見つかります。これは次のキケローの言葉の英訳だと思われます。

Consuetūdō quasi altera nātūra.(Cic.Fin.5.25.74)
習慣はいわば第二の天性である。

子どもの教育に関して、勉強の習慣を根付かせたいと願う親は少なくありません。学びに競争原理を持ち込んで、無理に方向付けするとうまくいかないことが多いです。その点、次の言葉は示唆的です。

岡潔:人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむつかしい。 (小林秀雄・岡潔対談『人間の建設』より)

「極端になにかをやる」とは夢中になって何かに取り組むことを意味します。「勉強」は英語のスタディ(study)の訳語ですが、語源となるラテン語のstudium(ストゥディウム)は「熱意」を意味します。「極端になにかをする」態度はstudium(熱意)そのものであり、その熱意は習慣に変わり、やがて第二の性質として定着するのでしょう。岡氏の言葉を借りれば、そうした学びの道程こそ「人本来の道」だということになります。

原点は幼児期の「夢中になる時間の過ごし方」にあると思われます。

それは、敬意を持って大事にすべき時間です。

本園は何をおいてもそこの部分を大切に守っていきたいと考えています。

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