実際に入園させるまで、「この子には、まだ幼稚園は無理なのかもしれない」と迷っていました。息子はとても警戒心が強く、いくら児童館や公園に通いつづけても先生からもお友達からも逃げつづけていたからです。
迷いつつも多数の園を訪れてみると、こちらでだけ息子の様子が違います。慣れない場所にもかかわらず初回から、私を相手にではありましたが、遊ぶことができたのです(それまでは、どこへ行っても「帰ろう」とむずがるのが常でした)。
「ここなら息子でも通えるかもしれない」と期待をもってミニミニ幼稚園に通うと、息子がわずかずつながらも初めて他人に心を開いていくようでした。先生方の「個性をありのままに受け入れ、尊重する姿勢」は、頑なな息子の心をほぐすのにとても効果的でした。こどもの性質を見極め、無理強いをせず、こどもの興味によりそいながら「仲間・味方」になっていかれる姿勢。そして何より、先生方の眼差し・表情から「ほんとうに子供が好きなんだな」ということが伝わってきて、私は「大事な幼少期を、ぜひこの園でこの先生方と過ごさせていただきたい」と願うようになりました。
入園してからの息子は私から離れることを拒み、お部屋でも後ろ(私の方)向きに椅子をおくなど、お友達との活動にもまったく参加しない日がつづきました。まるで息子と二人で毎日「参観」に通っているかのような状態に、予想していたこととはいえ苛立ちがつのることもありました。
しかし先生方は最初から「無理もないこと」とあっさりと息子のありのままを受け入れ、付き添う私のことまでも励まし支えつづけてくださいました。まずは息子が「今日も登園できた」と喜び、「(母と密着しつつも)教室内で過ごせた」「前を向けた」「母が3歩下がっても座っていられた」など、微細な進歩を心から喜んでくださるのです。それをみるうち私自身の焦りも静まっていき、「他のお子さんは当然のごとくできていることであっても、息子には前進」と受け止めることができるようになっていきました。
焦りが消えると、一歩一歩、親離れしていく息子の後姿を見守らせてもらえるのは贅沢なことだと気づきました。私の待つ位置は、最初は椅子の横だったのが後ろにかわり、翌週には3歩下がり、壁際まで下がり、次は開け放った戸口、そして戸外から窓越しに・・・。こうして息子が許容できる範囲内で後退していき、やがて「お弁当」や「お外遊び」など、徐々に私がいなくても平気で過ごせる時間が増えていきました。「見守るのも幸せ。見送るのも幸せ」と感じられるようになったとき、「私も先生方のように、わが子のあるがままを受容できるようになれるかもしれない」と思えました。
私が見ていない間のことは、担任の先生はもちろん、迎えに来たときに偶然お会いする他の先生方からも「ダンゴムシ探しされてましたよ」「お花プレゼントしてくれたんです!」など細かく、嬉しそうにお知らせいただきました。息子とは接点がなさそうな立場の方も含め、すべての先生が常に息子の「今」を把握し、息子の進歩を喜んでくださっていることに、とても驚き、励まされました。
夏休み目前には、息子が家でも別人のように自信に満ちて快活に、よく笑うようになりました。休み中は朝晩「 はやく幼稚園いきたいな~」と訴えられ、耳を疑いました。2学期には、降園後に大好きな祖母とめいっぱい遊んだ夜にまで「今日はいろいろ楽しかった。幼稚園で遊ぶのが一番楽しかった!」と言うようになり、しまいには週末になると「お休みなんてないほうがいいのに!」なんて残念がるようになってしまいました。
入園してまだ半年ですが、先生方に支えられ、お友達に見守られ、親子ともどもずいぶん成長できたと思います。登園途中では、顔を合わせるお母様方からも毎日たくさん励ましや労わり、そして息子の進歩を祝う言葉をいただいています。園長先生から「育児を人まかせにせず、親が自分の時間と労力を費やしたことが、将来何よりの想い出になります」というお話がありましたが、この園ではその想い出をより多くの方が彩ってくださることをすでに実感しています。