日記というより雑談です。

週末の「ラテン語の夕べ」(=ローマ文化の独自の価値に光を当てる趣旨)の内容にも関係する話ですが、山川出版社の歴史の教科書に次の記述があり目を疑いました。(この調子だと他の記述も批判的に見ていかないといけないのだと思いますが、高校時代の自分は万事鵜呑みにしていたので、試験はそれでなんとかなっても大事なことは身につかなかったです。山の学校の「歴史」はその点お勧めできます)。

「ローマ文化:ギリシア人のような独創的文化を創り出すことができなかった。ローマの建国伝説をうたった叙事詩『アエネイス』の作者ヴェルギリウスらの詩人がいるが、いずれもギリシア文学の模倣が著しい」(文部省検定済教科書、世界史B、詳説世界史、山川出版社、1997 年)」

あまり悪口は言いたくないのですが、『アエネーイス』をはじめラテン文学をあまり読んだことがない人が適当に書いた文章であると断言できます。

じつはローマ文化を貶める風潮は現代ヨーロッパの学者にも見られる一つの傾向ですが、一つ一つの作品を翻訳でよいので少しでも読めば、上のような偏見は口が裂けても言えないでしょう。

ローマ文化を特徴づける一つのジャンルに「喜劇」があり、フランスの劇作品はこれに大きな影響を受けているのですが、ドイツのレッシングはこのジャンルに批判的であり、たとえばテレンティウスの『兄弟』がメナンドロスの原作の優美さを損なう失敗作であると酷評しています。この作品を丁寧に読めば、そのような偏見は消えるはずです。

この作品の主題はずばり子育てです。

教育において大事なのは厳格さか寛大さかというテーマをめぐり、メナンドロスの解釈は「寛大さは厳格さにまさる」というもので、ローマのテレンティウスが出した答えは「わからない」というものです。

たしかにギリシアのオリジナルだと「寛大さ」が勝利を収め、観客は留飲を下げるでしょう。一方、テレンティウス版は教育方針の優劣でないところに主題を移転させ、真の親子関係はそれを超越したところに成立すると描いた点でテレンティウスはうまいと私は受け止めています。

詳しくは私がこの作品の翻訳に添えた解説をご覧ください。

また、(ページ運営者は知らない人ですが)私の翻訳を引用しながら対訳で読めるようにしたページはこちらです。>>テレンティウスの『兄弟』

週末は、ローマ人の残した英雄観の独自性に光を当てた話をさせていただきます。

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