年長クラスでは、保護者会の翌日から劇の練習を始めています。練習の初日にはみんなで過去の発表会のビデオを観ました。「次は自分たちの出番だっ!」とみんなやる気満々です。年長児の保護者におかれては、4月からの学校教育に対して色々ご不安もあろうかと思いますが、本園では半世紀以上にわたり、劇の練習を通して、親子ともども大きな自信をつかんでいただきたいと願い、幼稚園生活最後の生活発表会では劇に取り組んでもらっています。おゆうぎやリズムバンドと違って、劇の練習はご家庭での練習が何より大切です。お一人お一人役が違いますので、園の全体練習の中で自然に台詞を覚えるというわけにはいきません。また、台本はすべてひらがなで書いてありますが、お子さま一人の力でそれを覚えることは無理な相談です。
たとえ5分でも毎日親子で練習を続けることが大切です。家で十分に練習をしてきたお子さんは、お顔が晴れ晴れしています。逆に練習をしてこなかったお子さんのお顔は、心なしか曇っています。この1ヶ月、こつこつ練習を続けることができたお子さんは、園での練習にも自信を持って取り組むことができます。その結果、精神的に一回りも二回りも大きく成長され、自信をもって小学校生活に入っていかれます。私は生活発表会の成功のためというより、それぞれのお子さんご自身の、今のそして未来の幸せのために、この機会を最大限に生かしていただきたいと心から願っています。
幼稚園と異なり、小学校からの生活の中心は教科の学習になります。その鍵を握るのがご家庭での「勉強の習慣づけ」――予習・復習を欠かさない――です。この「習慣づけ」は、お子さんにとって生涯の宝になります。学校や塾の選択に最大限の注意を払っても、この「習慣づけ」を本人任せ、他人任せにする保護者は少なくないようです。「勉強しなさい!」と子どもに言う親は多いのですが、いっしょに勉強を見てあげる親は案外少ないのです。
ここで、本の読み聞かせのことを思い出してください。「本を読みなさい」、あるいは「うちの子は本を読まない。どうすれば読むようになるのでしょうか?」と心配する親は多くても、本の読み聞かせを実践する親は案外少ないのです(本園の保護者は別かも知れませんが)。親が子どもに本を読んであげることは義務でなく喜びのはずです。親が子どもに勉強を教えることも同じなのです。読書に関してみても、「お母さん、この本読んで!」と子どもから頼んでくるうちが花なのです。
勉強も同じです。小学校の1年生は、人生で一番好奇心にかがやいています。子どもにとっては小学校に通って勉強することが何より楽しみなのです。子どもは「今日はこんなことを勉強してきたよ!」と学校での経験をお母さんに話したくてたまりません。学校の教科書をお子さんと一緒に開けてお話タイムを持つことは、親子の絆を深める楽しいひとときになります。それぞれのご家庭で生活リズムが違うと思います。学校から帰ったら必ず宿題をするよう一緒に時間を過ごすのもよし、食後にその時間をとるのもよし、朝学校に行く前に教科書の音読をさせてから送り出すというスタイルでもよし、です。お母様がお忙しい場合、お父様が新聞を読む時間を少し割いて、お子さまの勉強を見てあげることを習慣化してもよいでしょう。どうか、各ご家庭で工夫されて、お子さまとの勉強タイム――今は劇の練習タイム――を必ず5分は確保し、その時間を歯磨きや入浴同様、日常の習慣にされますように。
以上のような提案をいたしますと、親の積極的な関わりが「子どもの自立の妨げになるのでは?」と不安を持たれることがあります。では、本の読み聞かせについてはどうでしょうか。字を知らない子どもが一人で本を読むことは不可能です。最初は親が読んで聞かせることから読書体験は始まります。親の主体的な関わりなしに、子どもが一人で本を読むようにはなりません。本好きな子どもは、きまって親との楽しい「読書タイム」を幼少時に経験しています。勉強についても同様です。「小学校に入ったのだから自分で勉強しなさい」と口に出すのは簡単ですが、子どもの側に立ってこの言葉を受け止めれば、それがいかに残酷な表現であるのか気づきます。子どもは親がいなければ一人で勉強の習慣を身につけることは絶対出来ないのです。赤ちゃんの目の前にご飯を用意し、「一人で食べなさい」と命令する親はいません。いずれ一人でできるようになることは自明ですが、まずは「授乳から」ではありませんか。赤ちゃんへの「授乳」を「甘やかし」と不安視する母親はいないでしょう。絵本の読み聞かせも、親による勉強の習慣づけも、子どもが立派に成長するための「精神的授乳」にほかならないのです。逆に、この経験をもたぬまま、身体だけ大きく成長した子どもたちが、どれだけ精神的栄養失調に苦しんでいるのか!学校で起こるさまざまな問題の根源はここにあります。
親による勉強の習慣づけは、小学校低学年においてもっとも大切です。学校の先生はクラスの30人を相手に授業をされています。一人一人の子どもの勉強を親のように丁寧に見ることは事実上不可能です。子どもが漢字を筆写するとき、その筆順が正確かどうか、鉛筆の持ち方が正しいかどうか、計算間違いの癖はどこにあるのか、先生は一人ずつについてくまなく見ることはできません。でも、親は違います。目の前のお子さん一人だけを見守ることができるのですから。
子どもを取り巻く学習環境は親にとって気になる話題ですが、うわさ話に花を咲かせる格好の話題であっても、それがご自分のお子さんの勉強を具体的にどう見守り、導いていけばよいのか、その明確な指針を提供することは永遠にないでしょう。ご自分の子どもの教育にとって、もっとも本質的な改革とは、いつも親自身の意識改革に他なりません。世間的に「よい」とされる教育環境をお子さんが生かすためにも、逆に「よくない」と評される環境にあっても、本人がそれを己の怠慢の言い訳にせず、たくましく成長するためにも、「親による子どもの勉強の習慣づけ」は、いつも現状をよりよく変えていくための一番大事な鍵を握っています。
難しいことは何もありません。「宿題をやりなさい」と口で言うだけでなく、子どもの横について、勉強に取り組む子どもをしっかり見守ることです。国語の教科書を目の前で音読させ、正すべきところは正すこと、漢字の書き取りや計算ドリルの答え合わせ、かけ算の九九の朗唱など、子どもがハードルを一生懸命乗り越えるとき、いつもそばにいて見守ってあげてほしいのです。子どもが将来、勇気をもって困難に挑戦する心の支えを培うために。
本園の徒歩による登園にせよ、「劇」の練習にせよ、その目的は同じです。子どもたちが自分の足で人生を歩んでいく、本当の自信を培ってほしいという願いが根底にあります。困難にぶつかったとき、何かのせいにして逃げることは誰にでもできます。安易で楽な道は、見回せば、いつでも、どこにでも、いくらでもあります。しかし、本園の子どもたちは違います。雨が降っても、雪が降っても、自分の足で元気に山道を登って幼稚園に通います。それを毎日当たり前と思い、当然のように繰り返しています。この「習慣づけ」を「よい」と判断したのは子どもではなく親です。その導入にさいし苦労をものともせず子どもたちを見守ったのは他ならぬ皆さんです。どこかで親が音を上げ「ノー」と思ったら、今の子どもたちはいません。「学問に王道なし」と言います。小学校から始まる「学びの山道においても王道なし」なのです。最初が肝心です。「文字を使って学ぶ」初期の段階において、子どもたちはまだよちよち歩きの状態です。その最初の導入にさいしては、1日5分、お子さまと一緒に「学びの山道」を歩く練習につきあってあげてください。
幼稚園であれ小学校であれ、子どもたちを幸福に導く教育の原理は同じです。上で述べてきた、親子で取り組む「勉強の習慣づけ」は、必ずやお子さんにとって生涯の宝になるでしょう。困難に直面したときの心の支えになるに違いありません。学校や塾の選択に最大限の注意を払っても、それを生かすも殺すも、結局は本人の勉強に対する姿勢次第なのです。この姿勢さえまっすぐ確かなものであるならば、どんな環境にあっても、たくましく学ぶ力を身につけるでしょう。今園で始まった劇の取り組みは、親子で取り組む「勉強の習慣づけ」の格好のスタートになるとお考えいただき、「毎日5分間」どんなことがあっても練習の時間を確保し、練習を継続していただければありがたいと思います。
平成18年2月3日 「園長だより」