幼稚園の絵本通信のエッセイで、かつて「うらしまたろう」を紹介しました。
このタイトルの絵本は数多くありますが、私は松谷みよ子(文)といわさきちひろ(絵)のペアが一番好きです。
日本語の美しさと挿絵のすばらしさが一度に味わえます。
読み聞かせの場合、できればゆっくり時間をかけて読んであげるのがよいと思います。
幼稚園の絵本通信のエッセイで、かつて「うらしまたろう」を紹介しました。
このタイトルの絵本は数多くありますが、私は松谷みよ子(文)といわさきちひろ(絵)のペアが一番好きです。
日本語の美しさと挿絵のすばらしさが一度に味わえます。
読み聞かせの場合、できればゆっくり時間をかけて読んであげるのがよいと思います。
昔話をめぐって、今年1年生になった娘との最近のやり取りで印象に残ったことがありましたので、園長先生に聞いていただきたく、投稿します。
国語の時間にどんな昔話が好きか発表することになったらしく「どんなのがあったかな」と言うので、家にあった昔話の絵本や子どもむけの読み物を出して、読んでみたら、とすすめました。学校では、空き時間にせっせと本を読んでいるらしく、短い1学期の間に100冊を超えたようなので、家でも自分でも読めるだろう、その間に私は自分の仕事をしたい、という思いもありました。しばらく、音読したり黙読したりしていましたが、「昔話は、言葉がふつうと違うから、読みにくい」と言い、はっとさせられました。「ふつうの言葉」で書かれている本は自分で楽しく読めても、聞かされること、を前提とした昔話は、やはり読んでもらう、お話してもらうのが、いちばんなんだなと、痛感しました。
話は全く変わりますが、コロナ禍にあって注目されている「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念がありますが、この力は昔話を味わう経験によって、育まれるところが大なのではないかな、とひそかに思っています。きっと、昔の時代に生きた人々は、私たちよりも自然においても社会においても理不尽な思いをたくさん体験しながら生きてきたことと想像します。その中で、時に理不尽であったりこの先どうなるのだろうと疑問を残すようなお話をたくさん聞くことは、心が生き延びる上で不可欠だったのかもしれない、と思うのです。そう考えていたこともあって、今こそ昔話をたくさん読み聞かせしよう、という思いを新たにさせられました。
山下です。コメントをいただき、ありがとうございました。1学期で100冊を超えたとは恐れ入ります。昔話を小さいころからたくさん読んで聞いて育たれたからこそ、その経験との比較から昔話は「読みにくい」という感想をお持ちになったのだと推察します。100冊以上読めるように、という狙いが先にあって読み聞かせをされたのではなく、結果的にそれだけの読書力となって花開いたのだと思います。私は子どもとしての自分の経験と、親としての自分の経験と、こうした保護者のみなさんから頂戴する様々なお言葉をもとにして、あれこれ文章を書いていますが、やはり、というか、昔話の時間を親子が心ゆくまで楽しむことが何より大切なのだ、とあらためて思った次第です。その先、どんな花が咲くのか、またおりにふれてお聞かせください。