今日の年長組の外遊びの様子をご覧下さい。
>>2018-09-25 おやまのえにっき(年長組の外遊び)
朝から雨でしたが、昼前から雨も上がり、運動会の練習も少し出来たようです。
雨の日に部屋の中で子どもたちはいろいろな会話を交わします。
年少のクラスでは、過日こんなやりとりがあったそうです。
Aちゃん:「雨が踊っているね」。
Bちゃん:「皆でお遊戯を踊ったから踊りたくなっちゃったのかな」。
一方年長児は少しでも外で走れそうなら走っています。
かけっこは勝ち負けがつくので、盛り上がると同時に緊張感を伴います。
人生にドキドキ、ハラハラはつきもので、その感情は健全なものだと思います(この感情の芽生えに個人差はあります)。
気持ちが勝負から逃げるとき、勝敗に意味はないと自分に言い聞かせれば敗北の悲しみは味わわなくて済みます。
この手の「酸っぱい葡萄」的な考えは現実逃避的であり、教育の現場で推奨できるものではありません。
さりとて、勝利至上主義が極端な態度であることは言うまでもありません。
勝負から逃げず(靴が脱げてもめげず)、最後まで力の限りを尽くして勝負に取り組んだ者には、勝者を称える気持ちが生まれます。
他方、勝利できた者には、勝利の喜びとともに、勝負を共にできた仲間への感謝の気持ちが自然とわきあがるでしょう(相手がいてこそ戦えるのだ、と)。
勝負に際して弱気になる、あるいは必要以上に自分を大きく見せたくなる、、、そんな心理は大人でもおいそれと克服できるものではありません。
先日行われた全米オープンテニスの女子決勝をふりかえりながら、そんなことを思い出します。
私も学生時代テニスをしていたので強く思うのですが、プロの選手がラケットをコートにたたきつけるシーンだけは子どもたちに見せたくありません(でもなぜかそのシーンは珍しくないようです)。
このブログでは何度も書いていますが、古代ローマに次の言葉があります。
「勝利において己に勝つ者は二度勝つ」。
1つめの勝負は相手との勝負。
2つめの勝負は自分との勝負。
1つ目の勝負で負けても、2つ目の勝負で負けなければ、1勝1敗です。
1つ目の勝負に負け、2つ目の勝負にも負ければ、2連敗です(今回の全米テニスの準優勝の選手はこれに相当)。
大阪選手はまさに「勝利において己に勝つ者」であり、二度勝利したと言えるでしょう。
そんなことを考えながら、体は小さくても、心は大人と変わらない子どもたちが、運動会の勝ち負けを通じて、全員が大切な何かを学んで欲しい、と願っています。