スティーブ・ジョブズの言葉に「点と点が線になる」という言葉があります。
未来になって、点と点が線になって見えるといいます。
幼少期の点(経験の一つ一つ)。学校時代の点、成人になってからの点。。。とふりかえるとき、あれがこうつながって今の自分を支えているのだな、とふりかえることができれば幸いなことです。
この線のことを日本語では「定め」と言うのでしょう。
子ども時代の何気ない一つ一つの取り組み、経験が将来どのような線を描くのかは誰にも分かりません。
大人がよかれと思って、一人一人に「定められた」道と異なる点を無理矢理押しつけても空回りするだけでしょう。
子どもには「したいことをさせる」、大人も「したいことをする」というのが人生の基本のはずです。
もちろん、それでは困ること、うまくいかないことがすぐに思いつきますが、それを阻む理由をよくよく考えると、そのいくらかは、あるいはその多くは、自分の気持ちの持ちよう、考えようで、取るに足らないこと、気にしなくてよいこと、なんとかなることが含まれます。
自分自身、あるいは子どもに対して、条件反射的に「したいことはできないこと」と決めつけていくと、人生は息苦しくなります。
子ども時代に「したいこと」は山ほどあったのに、10代の半ば当たりになるとそれが明確な人と不明確な人にわかれるとしたら、残念です。
大人は「したいこと」より「やらないといけないこと」を山ほど数えることが出来ます。
「したいこと」を実現するために「やらないといけないこと」が山ほど有るのはOKであり、やがて点は見事な線を描くでしょう。
「したくないこと」をさせられるために「やらないといけないこと」が山ほどあると不幸です。
コロナの問題で、従来信じて疑わなかったことも含めて、原点からものごとを考え直す機会を得ています。
「本当にしたいことはなにか」、「本当に大事なこと」がなにか、折に触れて考えることは大事なことだと思います。
その結果、世間の目に取るに足らないことに見えても、自分にとって大事なことが見つかれば、それを大切に突き進めばよい、ということを冒頭で挙げたスティーブ・ジョブズは講演の中で述べていて、私も同じように思います。