下のエントリを読み返すと、一定の評価をしているように勘違いしてしまいそうですね。念のため補足すると、ささやかな皮肉で書いたつもりですので、その点よろしく。英文解釈について、機械で翻訳させるというのと似た発想ですが、試験で使うなら、「次の日本語は、英文を機械が翻訳した結果である、誤訳を正せ。」というのが、よいでしょう。和文英訳だと、なおさら、受験生の実力が試せます。昔、英文科にいたときの思い出ですが、試験は訳本のコピーが配られ、誤訳を5箇所以上指摘せよ、というものでした(笑)。訳本を頼りに勉強した学生の運命やいかに?活字になった訳文を原文と照らし合わせながら批判的に読む、というのは力がつきます。むかし、私がフランス語を学んだときの話ですが、デカルトの方法序説を授業で読んだときのこと、岩波文庫の訳本を徹底的に赤ペンで「添削」したものです。若気の至りという言葉がありますが、まさにその心意気でした。同じ仕方で、小林秀雄のランボー訳なども、血祭り(赤ペン祭り?)に上げたものです。小林氏に至っては、自分の訳文にはエイチツーオーのオーほどの数の誤訳がある、と公言していましたが、私の実力ではそれだけの数の誤訳を探し当てることはできませんでした。