私が小学校高学年のころ、経済至上主義のつけとして様々な問題が顕在化し始め、「公害」という言葉が毎日のように新聞をにぎわせていました。
80年代になると毒マスクなしに東京は歩けなくなるという予測?もイラスト入りで紹介されていたことを思い出します。
中学1年のとき、家庭教師の先生と「森のひびき──わたしと小鳥との対話」(作・写真・絵/中村登流 1972年初版 大日本図書)を読みました。
随所に信州の美しい自然環境が開発の名のもとに脅かされていることが書かれていて、胸が痛みました。
公害の問題に関して言えば、技術がそれを克服して今があるのでしょう。
それはそれで結構なことですが、その後も手を変え品を変え、様々な「つけ」が顕在化して今に至ります。
新型コロナウィルスに限らず、ここ半世紀を振り返ると新しい感染症が次々と現れては人類を脅かしています。
人間による緑の地球に対するバランスを欠いた働きかけの反作用という側面はないのか、素人目には思えます。
同時に、人間という小宇宙に対する我々の働きかけ(=健康管理の問題)はどうなのかという視点で見れば、様々な問題が顕在化します。
原始時代に肥満の問題はなかったと思われます。つまり、生活習慣の劇的な変化が人間の体という自然に対してバランスを欠いた働きかけをしていることは間違いないところでしょう。
緑の地球に対しても、一人一人の人間の体と心に対しても、人はバランスの取れた付き合い方をしなければ、どこかでしっぺ返しをくらうのだと思われます。
何かにつけて効率を求めるのではなく、あえて不便を楽しむ心のゆとりをもちたいと「みどりの日」にちなんで思うのでした。