今日は第67回の卒園式でした。

本当に早いもので、あっというまにこの日がきたというのが実感です。時間はとまらないし、とまるべきでない。頭ではわかっていますが、お別れはいつも、だれにとっても寂しいものです。「さよならはまた会う日までの遠い約束」という昔聞いたフレーズがなんどもリフレインします。いずれにしましても、本日無事に式を終えることができ、今は安堵と感謝の気持ちでいっぱいです。

式辞を聞くときも、卒園証書を受け取るときも凛々しかった子どもたち。どの子もみな立派でした。なによりこの三年間の成長を実感する瞬間でした。

謝恩会は前半がお食事会、後半が場所をつきぐみ園舎に変えてのお楽しみ会の二部構成でした。手にするもの、目にするもの、味わうもの、すべてに温かいお心遣いとぬくもりを感じました。と同時に「手作業のクオリティーの高さ」。そんな平板な表現では間に合わないほどの芸術性の高い品々。謝恩会の招待状、そして今日の式次第。会場の飾り付け、etc.

お楽しみ会最初の「影絵」の出し物は「すばらしい」のひとこと。心を打たれ、思わず息をのみました。企画から本番の演出、演技に至るすべてにおいて、どれだけのご苦労があったことかと思いをはせる次第です。そしてこれは後で知ることになるのですが、この影絵の物語が一冊の絵本に姿を変えて園に寄贈されました(実際には順序が逆で、この絵本の一場面一場面を本番ではライブ上演して下さったという流れかもしれません)。本日の出し物では、絵本の1枚1枚の絵が舞台での各場面に相当し、そこに描かれたストーリーがナレーターによって丁寧に語られたのでした。スクリーンに映し出された絵は、やさしくゆったりと流れるストーリーと渾然一体となり、お山の幼稚園の四季折々の美しさ、子どもたちの成長を見守る保護者と先生との心の通い合いの機微を余すところなく描き出しているのでした。

先生の出し物は幼稚園の生活をふりかえる寸劇と子どもたちが最後に踊ったお遊戯とで構成されていました。かつては劇のパロディを行っていた時代もありましたし、日頃の先生のイメージを打ち壊す抱腹絶倒(?)のひとときとして楽しい出し物でした。しかしよくよく考えると、子どもたちにとっては「劇」や「先生」のイメージや思い出は、大人が思う以上に尊いものに違いありません。というわけで大人目線のエンターテインメント性は慎み、ある時から今ある形に切り替えました。笑顔一杯で全員の先生が舞台せましとお遊戯を披露することで、子どもたちは自分たちが最後に演じたパフォーマンスのパロディーではなくオマージュ(敬意)を受け取ります。

保護者の皆さんがご披露下さったダンスも同じ趣旨に基づくものだと強く感じられました。子どもたちは自分たちが踊った懐かしい曲を思い出し、大人が本気で踊るとどうなるのか、その一糸乱れぬパフォーマンスに度肝を抜かれたことと思います。言うなれば、運動会でお父さんたちが真剣に走る姿を見て「格好いい、凄い!」と感じるのと同じ理屈です。それはさておき、どこでどれだけ練習されたのでしょうか。本当にプロのような見事なダンスでした。

私からは恒例のスライドショーを上演させていただきました。おやまのえにっきを2012年以降てこいれして以来、撮りためた写真の数は数え切れないほどです(それゆえ記念のDVDに収めきれないことはご説明した通りです)。Ryoma先生の力も借りてそれぞれのお子さんの笑顔の写真を多く集め、できるだけまんべんなく、曲にあわせて並べました。季節の流れや取り組んだ行事の思い出も考慮に入れながら、Aちゃんのお買い物ごっこのときの笑顔の写真はないかな、などとつぶやきながら何度も「えにっき」で探しました。ところが探してもなかなか見つからない・・・。自分のお子さんの写真を探す保護者のお気持ちを追体験するひとときでした(笑)。と同時に、私にとっての子どもたちの思い出を振り返る大切なひとときでもありました。

子どもたちが目の前で歌ってくれる「ありがとうのはな」は、しみじみと心に残るものでした。ピアノの伴奏が流れるとスイッチが一瞬ではいったようで、みな真顔になって歌ってくれました。私の記憶では、この曲は昨年度の年長さんが歌い始めたと思いますが、いまや本園の要所で歌われる曲ナンバーワンの座に輝いていますね。

最後を締めくくる謝辞のお言葉はどれもが胸を打つものでした。つづく私の御礼の言葉の中でもふれたのですが、謝恩会そのものによって、また、最後にお聞かせ下さる保護者のお気持ちを心で受け止めることによって、私たち教職員はみなそれぞれの立場で、この仕事を選んでよかった、明日からまたがんばっていこう、という気持ちに導かれます。本当に有り難うございました。

じつは当初、私は最後のご挨拶の中で、子どもたちに向けて次のことを伝えたいと考えておりました。目の前の二つの道の選択の話にかかわるものですが、「みなさんのご両親はしんどく見えても大切な道を選ばれた、それでこの三年間があったのです、感謝しましょう」といった方向の話でした。しかし、そのようなお説教はまさに釈迦に説法と言うべきか、とうに子どもたちにはわかっていたことでした。謝辞のお言葉を聞く中で、私は子どもたちをみくびっていたと大反省した次第です。なんと泣かせるせりふでしょうか、「この幼稚園を選んでくれてありがとう」とは。この子どもたちなら間違いなく幸せな未来に向かって一歩一歩あゆんでいくことでしょう。

追記。
会終了後うれしい出来事がありました。

この日が卒園式と知ってか知らずか、たまたま卒園児二人が園長室を訪れてくれたのです。二人は私が園長になって初めて迎えた卒園式で証書を手渡したいわば(私にとっての)一期生です。13年後の今日、魔法のように目の前に現れた二人は、まるで今日の卒園児の成長した未来の姿のように見えました。

大学に進学し、今の研究に誇りと希望を持ってとりくんでいる二人の姿勢は清々しいものでした。何より驚かされたのが、自分の幼稚園時代の思い出を鮮明に覚えていたことです。二人は幼稚園時代のさまざまな取り組み(歩いての登園、自然の中での諸活動、園庭せましと走り回った経験、etc.)が今の自分を支えているという内容のことを生き生きと語ってくれました。

このときの対話をビデオに録画したらお山の幼稚園のいいプロモーションビデオができるななどと冗談を言ってしまうほどの内容で、私は自分の考えをかなり改める必要を感じました。私が予想していたことは、幼稚園の思い出は本当は何かの役に立つに違いないけれども、多くの卒園児にとって、それははかなくおぼろげで、何がどう影響を与え意味を持つかは、ほとんど無自覚で明確に説明できるものではないだろう、というものでした。

終始にこやかな笑顔で話を聞かせてくれた二人にもさらなる活躍と発展をお祈りしつつ、私は新年度も今までと変わらぬ志をもって日々取り組んでいこうと心に誓いました。

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