昨日は、皆様のおかげをもちまして、第58回目の卒園式を無事に終えることができました。卒園証書を受け取るお一人お一人の真剣なまなざしから、私は「魂は子どもも大人も変わらない」という自らの信念をいっそう強くいたしました。
今年の生活発表会は、「ぼくは(私は)絶対に劇に出る、出たいんだ!」という強い気持ちから、子どもたちは自分たちの共通の意識として、「全員で舞台に立つこと」を大切にして取り組み、互いに励まして練習を重ねてきました(万一台詞をうっかり忘れたお友だちがいても、子どもたち同士が助け合って劇を進める場面もありました)。
遊ぶときは力一杯遊び、やるときは互いに助けあい、責任を持って大きなことをやり遂げるという体験は、今後子どもたちが社会に巣立っていく上で、かけがえのない心の支えになるものと思います。
謝恩会の昼食会は、懐かしいゆきぐみに移動し、皆でいただく最後のお弁当。入り口も、室内のあちこちにも、保護者の皆さんの工夫を凝らした飾り付けが、卒園のお祝いに彩りを添えて下さいました。
また、再び会場をつきぐみ園舎に移してからの「謝恩会」では、笑いあり、涙ありのあっというまのひとときでしたが、とりわけ最後に保護者の皆さん「全員」が奏でたコーラスには心を強く動かされました。みなさんどこに集まって練習されたのでしょうか?卒園される「全保護者」が奏でて下さる「ハーモニー」こそ、日頃、私たち教職員が保護者の皆さんに感じている「感謝」の源であるのだ、と私は皆様の歌声を聞かせていただきながら強く感じた次第です。
「幼児教育の本質はなにか?」
私の考えるところでは、園の保育は、あくまでもお子さまの「心の目」をじっくり見つめることが何より大切であると考えます。本園が何かにつけ「子ども本位で考える」ということを申し上げるのもそのためです。
子どもたちが園で友だち同士、またクラスの先生と生き生きと過ごすこと。この何気ない安心できる日常の中に、子どもたちが自分を信じ、社会を信じて大人になるために大切なすべての「宝物」が隠されているのだと思います。
本園の保護者の皆様は、このことを理解下さった上で、クラスの先生が「子どもたちの保育」に「専念」できるよう、私たちを「信じて待つ」(すぐに目で見てわかる結果や成果を求めるのではなく・・・)ことを日頃からしてくださっている(いたのだなぁ)、といまさらながら実感するひとときでありました。
と、書きながら最後に思い出したエピソードが一つあります。
そういえば、今年卒園される保護者の方でした。入園願書を出される際、願書を提出される手をいったん止めて、『先生は、この子の気持ちを大切にして下さいますか?』とじっと私の目を見て問われたときのことを今私は昨日のことのように思い出すことができます。
そして、そのお母様のお気持ちは、けっしてその方だけのものではなく、本園を「信じて待つ」ことをして下さる「すべての」保護者に共通の思いである(あった)に違いない、と今私は身の引き締まる思いでこのことの意味をかみしめているところです。