小学校で大事なことは基礎を大事にすることだと思います。
どんなに時代が変わっても基本は変わりません。
一人で自信をもって教科書を音読できるように導いてあげてください。
そばにいる大人は根気がいります。
四則演も間違いなく自信をもってできるようにそばで見守ってあげてください。
学校の教室では、先生1人に対し生徒は30人います。
とうてい、一人ひとり丁寧に見守ることはできません。
色々な事情、意見はあると思いますが、私は親が子どもの学びを「根気よく」「粘り強く」「丁寧に」見守ることがベストだと確信しています。
親として、その関わりを「義務」ととらえると続きません。
自分自身童心に帰る機会、「喜び」の時間ととらえるとお互い「幸せ」です。
タイトルに「論語」の言葉を引用しました。
意味は、基礎をあやふやにして空想に走ると、「危険」だというのです。
この言葉には前段階があります。
あわせて紹介すると、次の通りです。
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」。
基礎を学ぶだけで想像力を磨かなければ、学びの真の中身がぼんやりしてしまう。
想像力をなんとか発揮しようとあくせくしても、基礎が身についていないでそれをやると、危険極まりない。
意訳するとこんな感じでしょうか。
小学校時代は、音読と数の計算に尽きると思います。
子ども任せ、塾任せにするのは「もったいない」です。
親自身が自分自身の基礎を再確認し、子どもと学びの実感を確かめ合える、貴重な機会です。
私はこのように考えています。