始業式翌日から俳句再開です。
私は年長児を対象として、週に一度俳句を教えています。
教えるといっても、実際は子どもたちと一緒に俳句の五・七・五を大きな声で朗唱する時間を設けている、といった方が正確です。
私も子どもたちも正座で臨みます。最初は黙想。
この日は子規の俳句を取り上げました。私が最初の「五」を声に出すと、子どもたちがその「五」を唱和する。そのやり方で続く「七」と「五」も声に出していきます。
三度ほどこれを繰り返した段階で、全体の意味をごく簡単に説明します。ほんとうにごく簡単に。本当は意味がわからなくてもよい、そんなスタンスです。意味はいつかわかるときが来る、という考えからそうしています。
子どもたちは「意味」よりも「音」に興味があるようです。その音とは、大人の響き、本物の言葉の響きということでしょう。
自分たちで声を合わせ、それを再現することで、子どもたちは古典作家の肉声に触れるのです。
俳句の一七文字には、一音、一音、全身全霊をこめて言葉の彫琢を凝らした古典作家の息吹が込められています。
俳句を朗唱して何になるのか?
「これをして何になるのか?」
こう問う大人が多い世の中になりました。
私は「わかりません。ただ、何かよいことにつながっていると思う」とだけ答えたいと思います。
つまり、無限の可能性がある取り組みだ、ということです。
子どもたちの10年、20年、それ以上先の人生に思いをはせ、日々歩き、石段を登りながら、そうした「何かよいこと」を実践していきたいと願います。