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過去に書いたものを読みかえしていると、「ひとりひとり」というタイトルのエントリーが見つかりました。

謹賀新年
投稿日時: 2008年1月3日
あけましておめでとうございます。

一年を振り返り、また、一年先を広く見渡すとき、幼稚園にとって大切な言葉は、「ひとり ひとり」ということであろうかと思います。

ひとりひとりの心と体の成長を願う気持ち。また、ひとりひとりの安全と健康を願い、守ろうとする気持ち。

家の中と違って、幼稚園はたくさんのお友だちの集まる場所です。でも、個々のお子さんは、かけがえのない一人、一人である、という至極当たり前の原点に立ち返って、今年も職員一同、力と心を合わせて保育に邁進していきたい、と考えています。

どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

園長になって手探りで幼児教育とはなにかを考えてきたわけですが、10年前も今も同じようなことを考えているようです。以下は当時の覚書です。

「みんなで一つに」というゴールを急くあまり、一人一人の心を十分にくみ取れないケースがないか、考えてみたい。保育の基本は「一人一人」である。その結果として「みんなで一つに」のゴールが実現する。一人一人、個性が違う。個性を尊重するとは、一人一人の自由を守ることである。園では自由遊びに注目したい。一人一人が自分のしたいことに集中して取り組めているか。集中するとは、子どもが真に「自由に」(=自分で自分に指示して)ふるまうこと。先生はとことん一人一人と関われているかどうか確認したい。

日頃の園庭での自由遊びに目を向けてみる。大縄飛びを見ていると、先生が一人一人の努力を尊重し支援する「型」が見て取れる。列を待つ子たちも、一緒になって数を数えている。先生が「一人一人」を応援することで「みんなで一つに」のよい流れができている。最初からクラスの全員を園庭に並べ、「さあ今日は大縄飛びをしますよ。みんな一列に並んで下さい」と指示するのでは、あのような熱気ある空間は生まれない。

「一人一人」の努力を先生が力一杯応援し、子どもたちがそれに応える。このパターンを、その他の活動にも広げればよい。一人一人の好みを把握し、それが最大限輝くような布石を打てばよい。子どもがそれに食いつけば、様子を見守りながら、ここぞというとき大人として最大の支援をすればいい。

たとえば言葉に興味のある子が「これどういう意味?」と尋ねたとする。先生もすぐにはわからない。このとき「先生もわからへんね」とお茶を濁す先生もいれば、「ちょっと待っていて」と言って辞書を調べて答える先生もいるだろう。その姿勢を黙って子どもは見ている。

折り紙が好きな子がいるとする。先生に何かを作って手渡すことがある。ありがとうと言って受け取るのは誰でも出来る。次の日、そのお返しに何かを作って渡す先生は少ない。それは「えこひいき」ではなく当然の「対話」である。こうして子どもとの距離はぐっと縮まる。しかし、その子に何かの別の折り方を教える先生はもっと少ない。目の前で教えると、目を輝かせて先生の手先を見つめるだろう。この空間は二人だけのものではない。やがて他の子達がそれを取り巻き始める。「何してるの?」と。こうして一つの熱意に満ちた輪がクラスに広がっていく。先生は一人の心に真剣に答えることで、この輪をクラスに広げていくわけである。

私の言う「一人一人」とは「一人一人を特別扱いする」ことである。「えこひいき」ではない。「特別扱い」をすることで、何かに集中する自由な空気をクラスに広げていくのである。そして、この「特別扱い」をクラスの全員に対して公平に行うのが理想であり、先生はこれを目標にしなければならない。月日とともに先生と子どもたちの信頼関係が深まるか、深まらないか。鍵は先生の「自由遊び」に対する考え方次第である。この信頼関係の深まりを前提として設定保育はうまくいく。先生が「みんなで一つに!」と呼びかければ、子どもたちは「おおー!」と元気に答えを返すだろう。

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