その内容の是非はともかく、人は自分の親のしてくれたことを手がかりにして、己の教育観を形成しているという見方はできると思います。また、その繰り返しで人間の歴史は進んできたように思います。

今年の父親参観日の時、私は「親の夢、子どもの夢」というタイトルでお話をさせていただきました。

親が夢を持ち、責任を持って前向きに生きる。その姿が子どもの夢を創る。夢のある子を育てたいならば、親が人生に夢を持たないといけない、という趣旨でした。

またこの趣旨で、一郎先生の書かれた「幼子へ贈る父の遺言状」のエピソードをご紹介しました。

その後、ある保護者から、自分の思い出の中では、自分の父親の教育方針には共感しかねるし、自分も子どもに手本を示しているとは思えない・・・という趣旨のコメントを頂戴しました。

また、別の保護者から伺ったところでは、七夕の願い事に「父親のようになりたい」と子どもが書いてくれたことに父親が感激したとのこと。

それを肯定するにせよ、批判的に分析するにせよ、冒頭で述べましたとおり、人は己の父親の教育観を無意識のうちに「手本」とするのが自然だと思います。

できれば夫婦それぞれが、一度自分の子ども時代の思い出をふりかえり、自分たちの教育方針を話し合ってみてはどうでしょうか。それがベストです。

最後に、「思い出の連鎖」という趣旨で、私自身の思い出を紹介します。以前書いた絵本通信の内容です。

>>「絵本は思い出である」

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