お盆の時期となりました。心静かに先祖を偲ぶときであります。

私自身、このところ、園の沿革の資料を整理し、父のみならず、祖父の書いたものを読み返すことにしています。温故知新ということになりましょうか。

一郎先生の遺稿(遺稿集に未掲載)を一つご紹介します。

「おカバンかけてお風呂屋さんへ」

きのう2月11日は、本園の52回目の創立記念日でした。そこで、創立当初の秘話を一つご披露してみましょう。毎月の体重測定、これを何と、創立第1年目はお風呂屋さんで行っていたというお話です。

以前に差し上げました「この道50年」でも触れておりましたように、北白川幼稚園は、昭和25年に創設されましたものの、何しろ先立つお金に乏しく、短大出の正式の先生が雇えないような状況からスタートしたものですから、何をするにも無い無いずくし。体重測定をしようにも、体重計ひとつありません。

当時、別当町の東南角(現在、サークルKのあるところ)に、パン屋さんを兼ねた浅野食堂がありました。ここのおじさんが大変お世話好きな方で、ご自分のお子さんを第一期生としてよこされたばかりでなく、創設前の園児募集にも随分力になっていただいた方でした。この浅野さんから、「体重計やったら、三岩さんとこに頼まはったらよろしいやん。何なら、私から声かけときましょか」との、有難いアドバイスを頂戴しました。

三岩さんは、浅野食堂の2,3軒先の南角にある坂本理髪店、その前のだらだら坂を上がりきったところの銭湯、”白川温泉”のご主人です。

お二人のご好意のおかげで、手ぬぐい代わりに、記録用の出席カードの入ったカバンを掛けた30人の園児たちは、長い列をつくって、月に一度、山の上からお風呂屋さんへと通うようになりました。途中、道行く人から「どこ行くの?」と声を掛けられて、子どもたちが一斉に「おふろやさん!」「えっ、お風呂屋さんへ何しに行くの?」「重さ計りや」「!?」声を掛けた人が、怪訝な顔つきで一行を見送る、そんなシーンも見られました。

白川温泉の暖簾をくぐりますと、男の子は男湯の、女の子は女湯の、それぞれの体重計の前に分かれて並びに行きます。園児たちの到着を待ちかねていた6人のお母さん方も、3人ずつ二手に分かれて、服やシャツの脱ぎ着のお手伝いに大忙しです。

今でこそ、デジタルの体重計で瞬時数値が読み取れますが、当時のそれは、針の左右の振れが納まるのを待ってから確認する、といった方式でした。ですから、元気のいい男の子が飛び込むように台に乗りますと、針は揺れっぱなしで数値を読み取るのに一苦労でした。台を離れたあとも針がなかなか0点に戻らず、随分じれったいことでしたが、そこは何といっても小人数のこと、30分もすればすべてが完了し、園児たちは一風呂浴びたあとのさっぱりとした気分で、白川温泉を後にするのでした。

1年目の卒園記念品で体重計を寄贈された翌年からは、のどかな、園児たちのお風呂屋さん通いの光景は見られなくなり、一年限りのものとなりました。
一方、それでは身長測定の方はといいますと、もちろん身長計もありません。そこで、小型の巻尺を伸ばして柱に貼り付け、下敷きを子どもの頭に垂直にあてて測っていたというわけです。この原始的な方法は、やっと身長計を購入できた3年目くらいまで続いていたのにように思います。

いずれにしましても、苦闘時代の、ホロ苦くも懐かしい思い出です。

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