Exempla docent, non jubent.(模範は教える。命令しない。)

新年明けましておめでとうございます。聞くところに寄れば、今年でいよいよ日本人の平均年齢が50歳に達するらしいのですが、私が子どもの頃の感覚からすれば、70歳の人も50~60歳のようですし、世の中全体を見渡しても、みんなそれぞれの年齢から10ずつ引けば、色々な意味にで「納得」できる気がします。30歳で無職というカテゴリにはいる若者を憂慮する声もあるようですが(私もそうでしたが)、私の計算では20歳の成人式を迎えたばかりと言うことで。

世代間でいろいろ教えたりすることは大事だと思う一方、今は未曾有の時代に突入していると考えるなら、若者から年配者が学ぶケースも必要でしょうし、もちろんその逆もまた真なりではあります。文部省ブランドの教育に何か変革を期待するより、一番確実でかつ一番肝心なことは、「自分で自分を変えよう!」ということに尽きます。それは、老いも若きも、です。

自分で自分を「模範」に近づける、「理想」に近づける、「夢の実現」に近づける、そんな一歩一歩を歩んでいく。誰に命令されるわけでなく、強いて言えば、自分で自分に命令する。それをせずに、まわりにだけあれこれ「命令」しても、それは教育ではありません。命令の仕方をマニュアル化するのはもっとも教育の道からかけ離れているでしょう。

教育とは、先生だけが行うものではなく、私たち、一人一人の生きる姿が、他の者にとって、手本となり、生きる希望となるのでしょう。私の考えでは、誰もが人生という山登りをする登山者であり、それは椅子取りゲームとは本質的に違うのです。山道を行き交う人が自然に声を掛け合い、挨拶するように、私たちは、一歩一歩目の前の道を登っていきたいと思います。すでに先人のつけてくれた山道、さらには山そのものの存在に感謝しつつ。本年もどうぞ宜しくお願いします。

山下太郎

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