たまたま昭和50年代の「入園のしおり」が出てきました。
表紙に昭和51年度とありますが、当時私はまだ中学生でした。
その記憶をふまえると、この写真は昭和30年代のものではないかと思われます。
第一園舎やブランコ、石畳の位置は今と同じですね。
このしおりの中を見ると、「本園の目的」のところに、「本園はめぐまれた自然の環境を活用して、自然と文化の調和のもとに、のぞましい文化的自然児としての幼児の心身の発育をたすけ、真の人間的根幹をつちかうことを目的としております」とあります。
うーむ。言葉遣いが古いようで新しい。文体から見て、祖父のものと思われます。
続いて、「本園の特色」にまいりましょう。
〇 本園は、別名を「お山のようちえん」とも呼ばれ、市内を一望に見渡せる小丘上にありまして、その展望のすばらしさ、四季おりおりの風光の美しさは、まさに天然のドリームランドとして、子どもの大らかな夢をはぐくんでくれます。
〇 「健康は足から」といわれますが、ふもとから四百歩のゆるやかな坂道の日々の通園は、一時の過激な運動の強制のような、むりな健康法とはちがいまして、かんまんな運動のつみかさねが、山上の清澄な空気の恩恵とあいまって、いかに幼児の健康に有効であるかにつきましては、すでに数かぎりない実例によってもうかがえるところであります。
〇 本園の自然的教育環境のめぐみは、たんに身体的な健康面のみにとどまらず、気宇の壮大さ、のびやかさ、たくましさ、やわらぎ等々、こころの健康にも十二分にその効果をあらわしております。
以下略。
懐かしい日本語の使いまわしですが、言わんとすることはくみとれます。それにしても、「徒歩400歩」というのは実際に何度も測って出した数字なのでしょうね。
かりに400歩だとしても、園児と一緒に歩く400歩と、自分一人で歩いてのぼる400歩はまったく別のものです。
子どもたちと一緒に歩いて登るとき、気が付いたら山の上に着いていた、という感覚です。
一人で登るときは、最初の第一コーナーを曲がった時、目の前にまっすぐ続く坂道を見て、「長い坂道だ」と感じます。私にとって、それは小学校のころから変わらない感覚なので、年齢を重ねたせいだけではないでしょう。
蛇足ですが、大学時代は走って登っても平気でした。
この山で生まれ育ったおかげか、長距離はいくら走っても疲れなかったので、今から思えば陸上部に入ればよかったと思います。
中学からテニスをしていましたが、大学時代は毎日鴨川を走ったり、荒神口のコートから全員で吉田山の上まで競争させられたり、レギュラーになると、レギュラーだけ大文字山の上まで競争させられたり、etc.
部員は70人以上いましたが、4回生まで走りにかけてはいつも一番でした(笑)。
上で祖父が言っている「かんまんな運動のつみかさね」は必ず足腰には有効だと思う次第です。