文化という日本語の意味は「(1)文徳で民を教化すること」といされます(広辞苑)。今一つよくわかりません。
広辞苑の説明を読むと、2つめと3つめの意味はこう説明されています。
(2)世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。
(3)(culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学・技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。↔自然。
(3)にカルチャーの英語が載っています。その訳語が「文化」(和製漢語)というわけです。
cultureの語源はラテン語のcultura(クルトゥーラ)で、「(畑の)耕作」を意味します。
「耕す」という意味の動詞と関係しています。
2千年前のローマ人キケローの言葉に、「哲学は心を<耕すこと>(クルトゥーラ)」というのがあります。
このように語源と用例を追いかけていくと、
「文化」と「哲学」はつながる概念のように受け取れます。
「哲学」も和製漢語で、英語のphilosophyの訳語です。
さかのぼればギリシャ語の「知を愛する」という単語にたどり着きます。
「文化とは何か」の問題を西洋の伝統に即して考えると、それは「心を耕すこと」であり、「知を愛すること」と密接に結びついていることがうかがえます。
広辞苑の(3)の説明の中で、「人間の精神的生活にかかわる」とされ、「技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する」のはこのためです。
なお、「知を愛する」ことと「好奇心」はつながっています。
たとえば空を見上げます。
青い空に白い雲。「雲はなぜ落ちてこないのだろう?」
忙しいとこんな問いを抱くことはなく、抱いても無駄だと切り捨てます。
文化の日とは、めぐりめぐって「童心にかえる日」といえるかもしれません。