以前「山の学校」の機関誌に寄せたエッセイに手を入れました。
英国の詩人ワーズワースに『虹』と題する詩があります。
私の心は躍る、
空に虹を見るときに。
子どもの頃もそうだった。
大人になった今もそうだ。
年老いてもそうありたい、
さもなくば死に至らしめよ。
子どもは大人の父である。
願わくばわが人生の一日一日が
自然を敬う気持ちで結ばれんことを。
7行目の「子どもは大人の父である」という言葉は、どこかで目にしたという人も多いのではないでしょうか。
司馬遼太郎氏はこの言葉に言及した上で次のように述べています。「私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私の中のオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。もっとも心にコドモがいなくなっているオトナがいますが、それは話にも値しない人間のヒモノですね」と。(『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』、神山育子著、朝日出版社)。
教育に携わる人間にとって、このメッセージの持つ意味は重いです。幼児教育はコドモを守ることを使命としますが、人は一人で生きられない以上、子どもの中のオトナの萌芽を大切に育てる努力も欠くことはできません。
ここで言う「コドモ」とは感受性や好奇心、「オトナ」は理性や社会性といったものを指すでしょう。しかし、教育の現場において、このバランスを図ることは頭で考えるほど簡単ではありません。
私は日頃幼稚園児を引率しながら山道を歩きますが、子どもたちはタケノコがぐんぐん伸びる様子やアリが行列を作っている様子に興味津々です。先日は晴天にもかかわらず太陽のそばに虹を見つけた子がいて、みなで時を忘れて見つめました。しかし、子どもたちの好奇心につきあっていると、いつになっても目的地につきません。ほどよいタイミングを見計らって子どもたちの関心を再び歩くことに向けさせねばなりません。
幼児教育の現場は、この手の葛藤に満ちています。幼児教育に限りません。家庭でも、学校教育の現場もそうでしょう。
逆説に聞こえるかもしれませんが、親や先生方にはこの葛藤を大切にして頂きたいと願います。
というのも、学校が子どもたちに知識や正解を教える所であると肩に力を入れるほど、やがて先生たちの心から葛藤は消え、コドモを守ることは困難になるからです。
例えば知識の多い少ないを数字の評価に置き換えた勉強は、効率を優先するあまり、好奇心や感受性を二の次、三の次にしてしまいます。そのような学校は時刻表通りにバスは運行されても、先生と生徒が同じ虹を見て感動を分かち合う場面はなくなるでしょう。ちょうど路線バスの運転手が虹を目にしてバスを停めることはないように。
私の中学時代を振り返ると、国語の時間が極端に退屈であったことを思い出します。理由は、先生が正解を黒板に書き、それをノートに写すように求められたからです。文中の「それ」が何を指すかと問われ、その答えを丁寧に板書されますが、最前列で腕を組んで見ていたら「ちゃんと写せ」と叱られました。該当箇所は教科書に自分で印をつけたと答えても「写せ」と言われたのです(ついでながら、試験で池の「まわり」を「周り」と書いて×でした。教科書に「回り」と書いてあるから)。中学に入ったばかりの思い出です。
ただ、このクラスが例外であったわけではなく、中高6年間の授業の暗黙の了解は、科目を問わず、いつも「黒板を写せ」、「ここを試験に出す」の一点張りであったと言うことはできます(この言い方は少し言い過ぎかもしれません。「葛藤」をお持ちの先生も少なからずおられたと記憶します。数学の先生で「わからない問題は一日中考えたっていい」と言われた方もおられました)。
いずれにせよ、私の中のコドモは家庭教師の先生に救われました。当時京大理学部の院生であった上田哲行先生です。父は最初の面談で「受験勉強は教えないで結構です」と切り出したのを昨日のことのように思い出します。では毎回何をしたかと言うと、一冊の本を音読し中身について語り合う、という(一見)ありきたりなことでした。しかし、実際にはこれがどれだけ貴重な経験であったことか、50年近く経った今も感謝の気持ちで心が満たされます。
先生は一冊の本を最初から最後まで丁寧に読むことの大切さを身をもって教えて下さいました。『森のひびき―わたしと小鳥との対話 』(中村登流)から始まり、『ソロモンの指輪』(コンラート・ローレンツ)や『チョウはなぜ飛ぶか』(日高敏隆)といった啓蒙書の数々、また、『科学的人間の形成』(八杉龍一)など、中学生にはやや難解に思える図書も先生はあえて選ばれました。内容に関する作文は毎回宿題として課され、翌週懇切丁寧な添削を受けたことも忘れがたい思い出です。
ただ、先生にも葛藤があったのかもしれません(あるいは受験を意識し始めた私への配慮だったのかも知れません)。高校時代に入ると数学や現代国語の入試問題を解くスタイルに変わっていきました。しかし、ここが大事なポイントですが、先生は私と同じ問題をご自分でも解かれ、同時に、私が納得のゆくまで考える姿をいつも横で見守り、適切なアドバイスを下さいました(考える主体はいつも私)。
と、ここまで書きながら思い当たることがあります。およそ20年前、無我夢中で始めた山の学校でしたが、そのコンセプトの源流は、今述べたような私の個人的体験に遡るのではなかったか、と。事実、私の目には、山の学校の先生の姿と上田先生の姿が重なって見えるのです。黒板を使った一斉指導ではなく、一人一人のニーズに寄り添い、じっくりと考える時間を何より大切する。そんな雰囲気は今も大切に守られています。
教える者も学ぶ者も、本来誰もが自分の、そして、他人のコドモを守るオトナでありたいと願います。しかし、司馬氏が警告したように、この前提は当たり前ではないのです。山の学校の取り組みは、子どもたちの、また、自分自身の中のコドモを守ることをよしとする保護者や会員のお陰で成り立つといえるでしょう。
この事実を深く心で受け止め、また一歩一歩進んでいきたいと思います。