今日はB組の歌の収録を行いました。今無事に編集を終えました。卒園式の練習もしました。続いて、「将来の夢」と題する絵画を手に、自分の夢を語る様子もビデオに収めました(撮影は先生による)。
一人ひとり、堂々と夢を語る・・・。映像を見ていて、本当にたいしたものだと感心することしきりでした。今、その絵は教室に飾ってあります。
数年前から、このスタイルでビデオを撮っています。発端は、いろは出版の木村氏との出会いで、同氏は挨拶もそこそこ、いきなり「先生の夢ってなんですか?」とインタビューされました。ドキッとしました。私は幼稚園を卒園するときの夢は「タクシーの運転手」というものでした。幼稚園の子どもは「夢は?」と聞かれて即答できるだけでなく、それを絵にすることもできます。
大人の自分はというと、即答もできなければ、絵にすることもできません。情けない気持ちになりました。もちろん、お返事はしたのですが、長々とした説明のような言葉になりました。毎日精一杯生きているということは事実として言えるのですが、短い言葉にしてそれを伝えることができるか?また、それを具体的な絵に描いて伝えることができるか?というと、それが難しいわけです。なぜかというと、覚悟というとおおげさですが、迷いのない心で生きていないと、それができないからなのだと思います。いけませんね。
もちろん当時も今も胸を張って言い切りたいのですが、何かを口にして、それと矛盾する結果が生じたらどうしようと、失敗を恐れる自分がいます。夢を語るのは度胸もいるようです。
ここ10年の私の夢は、子どもも大人も学ぶこと(子どもには遊びが学びであり、大人には学びが遊びとなるような)を楽しめる場所を創りたいというもので、10年たって、それができているようなできていないような、いまだに中途半端な気持ちでいます。(山びこ通信などには比較的はっきりと自分の考えを述べていますが、それは、現実がそうだというより、そうありたい、そう思いたいという願望や希望を述べているわけなので、これが私にとって「夢を語る」ことに相当するのかもしれません)。
ただ、スポーツ同様、現実にはうまくいくことより、失敗することのほうが多いわけです。日暮れて道遠し、といいましょうか、コップで海の水をすくうような気持ちになることのほうが多いのです。夢を聞かれても、子どもたちのように明るい態度で返事できない自分がいるわけです。
今回の子どもの夢の中には定番のスポーツ選手、幼稚園の先生などに混ざって、「オリンピックのスケートで金メダルを取る人になりたい」というのもありました。しっかりとそう言い切る姿に感動を覚えました。
もちろん、もじもじして話しづらそうに夢を語る子もいました。その姿にはむしろ共感を覚えます。しかし、その手に持つ絵はじつにしっかりとかけていたので、さすがに子どもは偉いなあとあらためて思いました。
皆さんも自問してみてください。「あなたの夢はなんですか?」「それを絵に描いてみてください」。