幼稚園と大学には共通点があります。どちらも「正解」のない世界での「遊び」(後者は知的な意味で)が意味を持ちます。
小学校から高校までは文科省による学習指導要領がありますが、幼稚園と大学にはありません(幼稚園は「教育」要領)。
幼稚園も大学も、「遊び」が学びの中心にあり、数字による評価は意味を持たない点で共通します。答えのある世界でどれだけ高い評価が得られても、それは大学での学問をどれだけ楽しめるかの指標にならないのは、幼稚園児が教科の先取りをどれだけしても、幼稚園生活そのものを楽しめるかどうかとは別問題であるのと同様です。
小学校から高校までの「教科型学習」が大事なことは自明ですが、それができればオールマイティだという考えは大学では通用しないどころか、邪魔になります。
大学で教える先生方に話を聞くと、異口同音に学生が質問しなくなったと肩をすくめます。私も今も非常勤で大学生に教えていると、同じことを実感します。
個人差はありますが、本を読まなくなったことと関係があります。スマホで記事を追いかけても、一冊の紙の本を最初から最後まで読みとおす経験は減る一方です。せめて学校でやってほしいのは本の精読ですが、昔も今も国語の時間にそのようなことはしません。教科書は名作の「抜粋」に過ぎず、授業は先生の解説を聞く時間にすぎません。
好奇心は遊び心であり童心です。教科の学習をやりすぎると、この心はぱさぱさに乾く一方です。文句ばかり言っても仕方がないので(笑)、山の学校ではこの春から「本を精読する」クラスをいくつか開講しました。
「西洋の児童書を読む」というクラスの初回のレポートを読み、私は思わずこれからが楽しみだなと感心しました。