写真は幼稚園の石段に落ちている花で、これをプレゼントに持ち帰る子も見かけます。
さて、今日はこどもの日。祝日法によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨だとか。
大人にとって、こどもの人格を重んじるというのはどういうことか、考える機会になればと思います。
逆にいえばこどもの人格を軽んじるとはどういうことか、ということですね。
子どもは言うまでもなく未熟な部分が多いです。
子どもの代わりにあれこれしてあげるというのは親心ですが、どうせできないから代わりに全部やってあげるというのでは、子どもの自尊心は育ちません。
バランスが難しいところです。バランスを考えるところに親としての葛藤があります。この葛藤を回避したい気持ちが高じると、かかわりを一切放棄するか、過干渉になるか、どちらかです。
バランスをいかにとるかに悩むことは、この問題が子どもの将来に大きくかかわると信じるためです。つまり、子どもの人格を重んじるからこそ、子どもとの距離の取り方に悩み、苦しむといえます。
子どもの自由を守りたいという思いが先にあればこそ、葛藤が生じます。
努力する人は常に迷うという趣旨のことをゲーテも述べました。
ラテン語では子どものことを「自由な人」と表現します。大きい、小さいという概念は入ってきません。
日本語は、どうしても「大人、子ども(小人)」と表現するため、ややもすれば「親が子の世話をする」側面に光が当たりがちです。
子どもの自由、自立の側面から子育てのありかたを発想すると、日常の葛藤の軽減に役立つように思います。