1つの俳句を4日扱います。今日は芭蕉の俳句の最終回でした。
自由遊びの時や登園のとき、「はいく おしえてあげる」と、覚えた俳句を一人で、または二人で並んで私に語って聞かせてくれる子どもがちらほらいて、そのときは、直立して聞くようにしています。
毎年そうなのですが、黙想の時にどうしてもこらえきれずに「くすっ」と笑う子がいてもおかしくはないものですが、今年は今のところ一人もいません。
姿勢もよく、私を見つめる目が力強く、迫力を感じます。
一つの俳句を何度も繰り返し朗誦し、以前の俳句も忘れぬよう復習するということをしています。
これは祖父(初代園長)のやり方であり、父も同じやり方でした。
Aを学び、Bを新たに学んだら、Bを徹底して繰り返し、それができたら、A,Bと続ける。
A,Bを習得し、Cを新たに学んだら、Cを繰り返したあと、A,B,Cと続ける・・・。私は論語の素読で体験しましたが、おそらく昔の日本の素読教育はそのようなものだったんだろう、と想像します。
文字を使った教育が花盛りであり、今は音も映像も流れ、それが当たり前になりつつある世の中ですが、記憶にしっかり定着させる原理は昔も今もないのでしょう。
この日は芭蕉の俳句のあと、園児のつくった俳句をいくつか紹介しました。
少しずつ、俳句の世界に慣れ、それを楽しみつつある子どもたちです。