親子の距離の取り方について以前書いたエッセイを加筆修正しました。
「啐啄の機」
歩いての登園は、親子関係をほどよく保つよいきっかけになります。入園当初に目を向けると、どの親も一様に、子どもが一人で幼稚園に通えるかどうかを心配します。5月、6月と日がたつにつれて、それは当たり前のことのように思えてきますが、実はどの子も「たいへんなこと」を毎日実践しているのです。
この「たいへんなこと」の本質は、晴雨にかかわらず長い距離を歩くことでも、二百段近い石段を毎日登り降りすることでもなく、「お母さん、いってきまーす」と笑顔で手を振って通園グループの列に加わることだと言えます。これが当たり前のようにできるとき、子どもは家庭でも幼稚園でも安心して過ごせていることを意味します。このことは、幼児教育で一番大事にしなければいけないポイントであり、それができて初めて、様々な取り組みにも力が出せるのです。
歩いての「人力バス」にドアはついていません。「お母さんついてきてー」といくらでも甘えることのできる環境の中で、「行ってきまーす」と笑顔で手を振って列に参加することは、新入園児の親子にとって、入園当初は大きなハードルに思えるものです。
それがしばらくすると、何ごとでもなかったかのように元気に幼稚園に行くことができるし、子どもの話を聞いていると幼稚園が大好きで、友達も大好き…。じゃあ、お母さんは眼中にないのか?と思えるほどです。しかし、それは事実ではありません。子どもたちはいつだって心の中で「お母さん」と言っているのです。
子どもが「行ってきまーす」と手を振って列に加わるとき、その子の目の前からいったんお母さんは姿を消しますが、心の中ではいつも「笑顔で自分の帰りを待っているお母さん」のイメージが見えています。このイメージが子どもたちの活躍をささえる原動力になるのです。
ただし「笑顔で」というところがポイントです。この笑顔は子どもへの信頼から生まれるものです。当初「この子には無理じゃないか」という「心配」はつきませんが、そのような「たいへんなこと」を我が子がやり遂げる姿を見るにつけ、お母さんの心の中には「この子はやればできるんだ、すごい!」という「信頼」が生まれます。それが笑顔になって現れ、それがまた子どもの心の糧になっていく、というよい循環が生まれるのです。
「啐啄(そったく)の機」という言葉があります。卵の中のひな鳥が外に出ようとして殻をつつき、親鳥もそれに呼応して外から殻をつつきます。そのタイミングが絶妙に一致することを表す言葉です。未知の世界に飛び込み、自立の一歩を踏み出すことへのためらいは、大なり小なり誰にでもあります。幼児の側にその気持が強いと「お母さん、ついてきてー」となります。逆に、子どもが特に求めていないのに、「私がいないとこの子はだめ」と親が思い込み、どんなことにも子どもの要求にこたえていると、子どもは甘えて登園を渋ることがあります。親子の息がぴったり合えば、笑顔で登園できるというわけです。
子どもが登園を渋るかどうかは入園しないとわかりません。経験上言えることは、「もしもダメだったら、幼稚園までついていってあげるからね」という言葉は禁句だということです。「ついていってあげる」は、耳当たりのよい言葉ですが、「この子はついていかないとだめだろう」という親の本音が見え隠れします。子どもは「自分は信じてもらえていない」と思うかもしれません。すると「期待」にこたえてぐずります。
大人同士なら「仮定の話をしているだけだ」と言い訳できますが、3歳の子どもに「もしも」の「条件文」の意味は理解できません。「あなたはダメだ」と、「お母さんは幼稚園までついていく」という情報しか伝わりません。どちらも一番伝えたくないメッセージです。では、その逆の言い方は何でしょうか。私なら「一人で幼稚園にいけるって、いいね」と羨ましそうに言うでしょう。この場合、「あなたは一人で幼稚園に行く」というフレーズと、「あなたはいいね」というポジティブなメッセージが心地よく耳に届きます。
入園前には様々な準備が必要ですが、たとえば子どもの前で保育用品に名前を書きながら、今述べた「いいね」の言葉をさりげなくはさむと効果的です。「まあすてきなお絵描き帳ね。お母さんが○○ちゃんの代わりに幼稚園にいきたいくらいよ。いいね」といった具合にです。
子どもであれ大人であれ、人間は暗示に弱い生き物です。幼児との会話を通じて、ポジティブな表現を日頃から意識すると、親子関係だけでなく、大人同士(とりわけ夫婦)の人間関係にもプラスの影響が出るでしょう。言葉の工夫によって、日頃から子どもの周囲を明るい空気で包むなら、「よし、やろう!」という気持ちを子どもから引き出すことができます。親子は「啐啄の機」に際し、親が前向きな言葉をかけることで、子どもが「公の人」として外の世界で活躍できるように導くことができるのです。