温故知新という言葉があります。

人の人生を歴史に例えると、幼少時代は古典時代に当たります。

大人は幼いころの自分を思い出し、今のあるべき自分の姿を想像する糧を得ます(忙しいとそれを怠る)。

国々に歴史があります。

クリスマスは、千年、二千年前の異文化の歴史や宗教に思いをはせるチャンスです。

これも温故知新であります。

ただ、昨今の世相を見るに、自国はもちろん、他国の歴史や文化を深くその根っこから振り返る営みが希薄になってきたように感じられます。

民主主義や教育のこれからについて、何をどう考えればよいのか。

私はこれらの営みが日本オリジンというより、百五十年前の開国とともにもたらされた異国文化だと考えています。

よって、彼らの思想の根っこをしっかりと見据え、根本から学びなおさない限り、日本の土壌にあった文化の栽培は不可能と思っています。

いわば、切り花は日持ちせず、土を用意し、根っこから育てない限り花は咲かないのと同じ理屈です。

このようなことを山びこ通信を読み返し、考えております。

>>温故知新と西洋古典

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