昔に書いた原稿シリーズです。
>>「才能と好奇心」
大学生にはよくこの話をしたものです。
この考え方を膨らませたものをこのたび上梓した世界思想社の『お山の幼稚園で育つ』の一章で扱いました。
>> 第25章 「信じる」――大器晩成 p.129
私の「ゴム紐理論」は幼稚園の教育方針を考える上でも有効です。
知名度を上げるにはどうすればよいのか。
オールラウンドにほどほどに、といくより、一点突破主義の方がPRしやすくなります。いわく、「全員○○ができます!」等。
ですから、私はその逆が大事と信じて今に至ります。
他方、大学では90年代から教養部を廃止し、一点突破主義に比重を置いてきて、今に至ります。
今までノーベル賞を取ってこられた世代の方は、一点突破主義教育を受けておられません。
人間の可能性は何がどうからみあって、また、どこでどういう人と出会って、いかなるスパークを起こすか神のみぞ知る、です。
成功、不成功にはたぶんに運命のはからいもウェイトをもっているのであり、人間が自分勝手なシナリオを描くのは、運命の冒涜でもあります。
昔話にあるように、正直爺さんは自分の「好きなもの」を大切にするのみですが、その(偶然の)成功をねたましく思う意地悪じいさんは、メソッドの模倣に明け暮れます。その結果、お殿様に灰をふりかけ、おとがめを受ける始末。
今の日本の教育が本当に大事にしないといけないこと(好奇心を守り育てること)をお留守にし、ただ成果主義のかけごえのもと、ゴムの本数を少なくして目先の勝負に勝てるようにチューニングしても、今後実りある教育の成果はあがらないでしょう。
今も昔も学校にはよい先生がたくさんおられますが、先生と子どもの相性といったの運不運に子どもの人生を委ねるのでなく、かりにどのような道筋が学校教育で展開するにせよ、肝心かなめの鍵は親の価値観に依存していると信じること、つまり、親が子どもの教育の責任をしっかり引き受けることこそ、子どもがまっすぐに安心して育つ基礎だと思っています。
その価値観(昨日書いたことや、今回書いていること)を親がぶれずに持ち続けることさえできれば、あとは天命がよきにはからってくれる、と信じるのがよく、これを古来「人事を尽くして天命を待つ」と言います。