あけましておめでとうございます。
教育に於けるバランスの大事さについて思うところを述べます。
「バランスの取れた教育は大切。しかし、実現が難しい、だからこそ、それを目指さないといけない、とりわけ、幼児教育においては」と思います。
人間の可能性は多岐にわたります。そのどれか一つの要素に注目し、それ「だけ」を伸ばすことは自慢になりません。
一方、時間は有限です。喩えるなら、花壇にはたくさんの花の種がまかれていて、一方じょうろの水には限りがあります。
このとき、まんべんなく水をまくことが大事であることはいうまでもありません。特定の花にのみ水を与え続けるなら、それは言い換えれば、他の花を犠牲にすることを意味します。
高校に目を向けると、入試に出る科目「だけ」を教え、学ぶやり方、もっといえば、「(受験)勉強<だけ>」教え、学ぶやり方、あるいは、特定のスポーツだけ力を入れるやり方がもてはやされるようです。それぞれの学校が「特色」を出そうと努力するのは当然かもしれません。しかし、その「特色」が何かの「犠牲」の上に成り立つものかどうか、吟味する必要があります。
得てして人の目を引く「何か」とは、見方を変えれば別の「何か」を犠牲にして成り立つもののことです。
これからどんな花が咲くかわからない幼児期において、「何か」を犠牲にしてまでして「何か」を実現しないといけないものがあるとは思いません。何よりバランスの取れた教育が大事だと思うわけです。
そのような教育活動は得てして「平凡」に見えるものですが、子どもの目は輝いている、楽しそうにしている、そのような「雰囲気」が教育の現場から伝わってきます。何より、現場の先生が生き生きしている。これは、幼稚園だけでなく、他の学校機関についても言えることです。
バランスの取れた教育。地味であっても、それが何より大事なことだと私は考えます。