本立ちて道生ず、という言葉について再考します。
「生ず」とは「生じる」ということで、自動詞である点が重要です。
「道」がどこに続くのかもあいまいにされていますが、「何かよいこと」に違いありません。
かりに何らかの「目標」をそこに置いたとします。わかりやすい例では、受験の合格だとしましょう。
その場合、「本立ちて道生ず」は、「合格するには基本が大事だ」と解釈しても悪くはないのですが、それは「生ず」の自動詞的意味を逆に理解していることになります。
「生じる」のは「結果」として「生じる」のだということです。
「基本を大事にコツコツ勉強していると、その結果道が生じる。すなわち合格の可能性が高まる」というのが孔子の言葉のひとつの理解の仕方です。
もっと一般化していえば、目的意識をひとまず横において、目の前の基本を大切に見直しましょう、そうすれば、「何かいいこと」につながる道がいつのまにか生じていますよ、ということです。
人間はせっかちです。普通は目的意識が先にくるので、この逆の発想になります。なにがなんでもこの目標を達成するぞ、それには基本が大事だっ!という形で。
なにげない「論語」の言葉も、上で述べたように、ひとつの逆説として理解するのがよいと思っています。